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齊藤義崇の令和の乾田直播レポート

課題と問題は欲の産物である~現場に寄り添った研究開発と情報発信が足りない理由~


普及員時代に土壌断面調査をしたときの野帳は未だに残していて、画像やデータもハードディスクにたくさん保存してある。穴掘りをした圃場の数はざっと500筆を超える。今回はこれまでの経験や知見をもとに土壌断面調査と講習会を行なったものの、やはり時折穴を掘り、地下の様子をモニターしなければという戒めにもなった。
それからもう一つ、嬉しい気づきもあった。校長先生の話によれば、いまだに生徒の多くが農業後継者であるという。どこの農業高校も近年は、就農予定者より都会からわざわざ入学する人が増え、農業後継者の育成が難しくなっていると聞いていた。ところが、この高校に通うほとんどの生徒は、実家を継ぐ意志を高く持ち、休みには実家で作業を手伝い、トラクターによく乗っているのだ。講義の後半は土を耕す道具や方法を紹介しながら進めたが、「不耕起栽培やプラウは必要か?」など、なかなかに踏み込んだ質問が飛び交い、話題が広がった。持論を展開して応えたが、彼らの栽培技術への感心の高さに学ばせてもらう部分も多かったように思う。若者の目は実に真剣で、農業の未来は明るいと感じさせてくれた。最近は、農場を離れて農業の進歩を目的とする“えせコンサル”のような仕事もライフワークになりつつあるが、初心を思い出す良い機会になった。

農家の欲を共有してこそ課題解決を手伝える

ところで、少し前に稲作についての大型書籍が届いた。高い値段を出して購入したものの、本音を言えばあまりおもしろくなかった。体系的にはまとまっているのだが、現場に寄り添った文章が少ないというのがその理由である。自分が執筆している部分もあるから、あまり言明しないでおこう。ただ、稲作の現場で起きていることは体系的ではないし、常に試行錯誤の連続で、良いものをもっと獲りたいという欲望に駆られている。そうでないと、イノベーションは生まれないし、技術は進化しない。体系的に整った文章からは、そのエネルギッシュな臨場感が伝わってこないのだ。
農作業は体系づけられ、ルーチン化することを目的にしているにもかかわらず、やっている最中には常に疑問が湧いてくる。そこで思い出すのは、関祐二氏の「農業は頭脳労働が多い」という言葉である。
私なりにこう解釈している。課題と問題は欲の産物で、論理立てて解決策を考えないと解消されない。ここでいう課題あるいは問題とは、機械の単純な故障などといった日頃のトラブルを指しているわけではないし、備えを怠らずにいても訪れる災害でもない。より豊かな実り、より良い作業環境、作業効率を求めている経営者が自ら生み出す課題のことである。経営者ならではの肌感覚的に生じる疑念といったほうが伝わるだろうか。その課題を研究者なり関係機関の人たちが共有し、解決をお手伝いするには、それ相応の覚悟と、時間を共に費やすなど、課題を「自分事の現象」として捉えることが必要である。それが足りていない時代なのだと痛感している。

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