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齊藤義崇の令和の乾田直播レポート

課題と問題は欲の産物である~現場に寄り添った研究開発と情報発信が足りない理由~


こうした苦言はいまに始まったことではない。東京農業大学の初代学長を務めた横井時敬氏が、「農学栄えて農業滅ぶ」と警鐘を鳴らしたのは明治時代のことである。「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」という言葉も遺した。いずれも、農業分野で技術普及、研究開発に関わる人間が常に心がけたい姿勢であろう。
しかし、現実にはいまでも現場で結果を出す仕事をやる人間は少ない。疲れる仕事であり、研究論文にまとめるのは大変だ。だから誰もやりたがらないのである。だが、農業分野に限れば、育種などの特殊な分野を除けば、机上あるいは狭い試験環境での実践では、普及につながらない。高学歴だったり、論文を多く書いたりしている先生が必ずしも能力の高い研究者かというと、首を傾げたくなるのだ。ましてや生産技術や経営学などは、現場の達人とタッグを組んでこそ、結果が出るものではないだろうか。
「富が農業の大きな原動力であり、よい耕作のためには多くの富が必要だ」とは、フランソワ・ケネーが 『借地農論』(1756年)のなかで述べた一節である。私たち農業者の欲は至って単純で、良い耕作のためには土づくりの道具に、トラクターにお金をかける。その資金が必要だから、生産効率を上げ儲けなければ、より良い農業生産ができない。そこに欲が生まれる。この感覚を研究者や関係機関の人たちに理解されなければ、技術改良の根幹であることが共有されないのだ。

乾直人が求めているのは現場に寄り添った情報

乾直に関しても、同じである。「芽が出ないのはどうしてか?」という問いにぶち当たったのは25年前のことだ。どの文献を読んでも、誰に聞いても、“犠牲者”になってくれる人を見つけて試験を繰り返しても、その答えは10年以上見つからなかった。それ以降も岩見沢市北村地区の人々を中心に協力してくれる水田農家を募り、これがのちに“齊藤犠牲者の会(正式名称:JAいわみざわ水稲直まき研究会)”になるのだが、彼らと乾直に向き合うなかで結論は思いの外、早く出た。 
まず、播かない種は出ない。播かない人には、課題を理解できないのだ。そこで、私は乾直のすべての作業に時間のある限り従事した。そして早朝や夕方、ときには台風の襲来時にも圃場の乾直イネの変化をデジタルカメラやビデオで記録し、調査結果を数値化し、追いかけた。現場にもそのデータを持って足を運ぶのだが、そのたびに圃場主の希望・野望・欲望を理解するため、昼夜を問わず彼らとよく話をした。そもそも普及指導員の制度は国と都道府県の共同事業で、考える農業者を培うことを目的に戦後GHQの指導のもと成立した。普及指導員のことを “不休員”と呼ぶ隠語が存在するが、それを地で行ったのである。

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