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新・農業経営者ルポ

1haで儲ける方法を見つけた農業のアウトロー


長野県上田市の農家の次男だった中村は香川大学農学部に進んで園芸を学んだ。そのころ不満に感じたのが、作ったものをどう売るか、どう儲けるかということを誰も教えなかったことだ。
「市場流通だと、需要と供給のバランスで再生産価格を維持できないこともある。1haコメを作ったとして、米価が下がる中で収益はどうなるか。トラクターや田植機を買っていたら採算が合わない」
1haで儲ける方法――。誰も教えてくれなかったこの方法を中村は追求していくことになる。

単一品目の大量栽培に疑問を抱く

中村は大学卒業後、農産物の生産の指導と流通を手がける会社に就職した。大手スーパーに10t車で1日に何10tもの青果を納めていた。その後、香川県青果販売農業協同組合連合会(現・JA香川)に移り、花卉やトマトの営農指導に当たる。この時期に実家が高松市の妻と結婚し、以来、拠点を高松に置いてきた。しかし、「全国を飛び回っているから、実際はほとんど香川にいない」と笑う。
香川は、県域の面積も耕地面積も狭い。専業に向かないというのが常識で、兼業農家が圧倒的に多く、出荷はJAを通した市場流通ばかりだった。市場に売り場を確保し、産地間競争に勝ち残ろうとすると、いきおい単一品目を大量に作ることになる。だが、相場の変動もあってなかなか儲からない。加えて、生産者や市場関係者への接待が多く、「農協がどうも合わなくて、2年で辞めてしまった」。
流通会社に勤めたころから抱いてきた違和感は、「中間にいる人たちだけが利益をとって、生産者が利益をとれない。これはちょっと違うんじゃないか」ということだった。27歳で独立後、すぐに今のスタイルにたどり着いたわけではない。農産物流会社を立ち上げ、香川や他県の生産者の指導をしつつ、大手生協やスーパーに農産物を卸した。
当時から差別化が念頭にあり、香川大学に戻って、まだ市場に出回らなかったフルーツトマトの研究も手がけた。一方、コンサルティングの対象を広げ、大規模な大葉の生産を中国で指導する。2000人近くを率いて大葉の生産からパック詰めまで行ない、成田空港に空輸した。ところが、である。
「中国の問題は、大葉とは関係のないネギで農薬が出たというと、大葉の輸入も全部止まってしまう。大手飲食チェーンへの出荷を頼まれていたのに、まったく関係のない農薬問題ですべて断られたこともある。これはリスクがありすぎるということで、中国の事業を全部引き揚げた」

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