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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

いまどきの世界観に隔世の感あり

目の前に世界地図がある。多少色褪せた世界地図に当時の不思議な世界観が見え隠れする。この地図は1941年(昭和16年)2月に作られた物だ。2年ほど前に新橋のSL側の広場で古本屋の集まりがあり、3500円で購入した。

真珠湾攻撃の原点

ここで私の国際感覚をお伝えしよう。1941年12月7日(現地時間)、航空母艦6隻から発進した航空機はハワイ・パールハーバーを目指した。戦後多くの日本人とアメリカ人は、このパールハーバー・アタックはスニーク・アタック(姑息な攻撃)だと言う。それは本当だろうか。
実はこの攻撃の1時間前に、同じくパールハーバー・エントランスでパトロールしていたアメリカ海軍ワード号が、近距離から不明の物体に攻撃をかけたのだ。その報告は音声によって第14海軍区の司令官に送られ、アメリカ海軍の責任のもと正式に発表されている。攻撃を受けたのは日本海軍の特殊潜航艇で、5隻がハワイに向かい、3隻が撃沈されたと歴史書にある。
この撃沈された特殊潜航艇はその後どうなったのか。調べてみると、重要な海洋遺産なので引き上げない方針だとか。不思議だ。
2015年にマイクロソフトの共同創業者、故・ポール・アレンさんたちがフィリピンのシブヤン海で日本海軍の戦艦「武蔵」を発見した。そしてこの戦艦を引き上げたい、と報道されたが、現実には難しいだろう。
では、なぜパールハーバーの日本海軍の物とされる特殊潜航艇を引き上げないのだろうか。ましてこの潜航艇はアメリカ領海内にあるのだ。
私は1986年6月22日にこのパールハーバーを訪れた。いまだ兵士が眠り、油が漏れ続ける戦艦アリゾナ・ツアーで、ボランテイアだという金髪・ブルーアイの女子大生がこう言いだした。
「今回の参加者でアメリカ以外の人は手を挙げてください」
私は手を挙げられなかった。手を挙げたのは数人のヨーロッパからの人たちだった。どこか後ろめたい気持ちがあったが、同時にその質問のやり方は姑息だとも感じた。もし、広島や長崎の外国人が多いツアーで、「日本人以外の方は手を挙げてください」と日本人が案内するように教育されているとしたら、地元の人たちは許すだろうか。

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