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新・農業経営者ルポ

地域を一つの農場として見たい

田んぼの境を示すコンクリートで造られた畦。地権者同士の心の壁を象徴するような景色を前に、樫山直樹(42)は「地域を一つの農場として見たい」と考えるようになる。徳島県小松島市の自身が代表を務める(有)樫山農園は、統合制御型ハウスで作った高糖度トマトをメインに、コメ、麦、コマツナ、シイタケなどを生産する。同社を中心に、他の農家やJA、加工業者などと連携し、地域の農業全体の競争力を高めたい――。その試みは次々と具現化していた。 文・写真/山口亮子、写真提供/(有)樫山農園

親子二代で年商2億円に

小松島市の国道55号を車で走っていると、水田の中に突如、白いハウス群が現れた。それは樫山農園のハウスで、30棟以上もある。ハウスのすぐ北側で、大規模な造成工事が行なわれていた。てっきり郊外型の店舗でも建つのだろうかと思ったら、そうではない。
「トマト用の新しいハウスを造っていて。栽培面積が1.3haで、すでにあるトマトのハウスと合わせると2haになる。今2億円くらいの売上高を、3億5000万から4億くらいにはしたいなと」
樫山がこう説明してくれる。生産するブランド「珊瑚樹(さんごじゅ)トマト」は20年前に生まれた。糖度8以上のものを非破壊の糖度センサーで選別する。ビールの搾り粕である麦芽の殻皮を乾燥、圧縮整形し、炭化させた「モルトセラミックス」を養液栽培の培土に使い、さわやかな甘みと深いコクの感じられる味に育てる。
農園を年商2億円強の規模に押し上げたのは、父・博章(72)と樫山の親子二代にわたる農業への熱い思いが源泉だ。博章は、いわゆる水飲み百姓だった祖父の喜和雄に「農業は儲からないから、勤め人になれ」と言われ、サラリーマンになった。しかし、農業をしたいという感情が高まり、1993年に46歳で脱サラする。田んぼ60a、ハウス12aからのスタートだった。
トマトのハウスで起きた機械の不具合がきっかけで、高糖度トマトの着想を得る。他の生産者と共に、JAの部会で「まぼろしトマト」として出荷していた。そんな中、アサヒビールがモルトセラミックスの活用方法を探していると知る。
まぼろしトマトは培地が不統一で、味に差が出ていた。モルトセラミックスを培地にすれば、産業副産物の有効活用になる。ミネラル分が豊富に含まれ、強度が高いといった特徴を魅力に感じ、博章は栽培に使いたいと同社に申し出た。そして提携にまで話が及ぶ。
「自分はもう50代で、先がない。お前がしたいのであれば、アサヒビールと組む」
当時、阿南工業高等専門学校に通っていた樫山に、博章はこう持ちかけた。ところが、当の樫山は農業が大っ嫌いだったのだ。虫が嫌だし、暑い中で汗をかいて仕事するのも嫌い。このとき博章は、目指す生き方を、日蓮の次のような意味の言葉を引用して語った。
秋が来て月光の縁(時節)に合えば、植物は実が熟れて、感情を持つ動物を養い、寿命を延ばし、成仏のための功徳を積む。感情のない植物すらこうなのだから、人間はなおさらだ――。

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