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新・農業経営者ルポ

地域を一つの農場として見たい


この言葉は、学業に身が入らず留年が決まり、将来の夢を探しあぐねていた樫山の心に響いた。
「父は、人としてすごく理想の生き方をしているなと思って。農業をやるとその場で決めた」
こうして樫山農園は2001年にアサヒビールと提携し、翌02年に統合制御型のフェンロー式ハウスを新設した。樫山は00年に高専を卒業後、アメリカで研修を受け、02年に帰国して家業に入る。当時を「一通りわかったつもりで農業研修から帰ってきたけれど、全く通用しなかった」
と振り返る。研修先のカリフォルニアの農業法人は、500人を雇ってトマトを大量生産しており、樫山は労務管理を任されていた。片や博章は、トマトの樹1本1本を我が子のようにかわいがり、精密な管理をする。
樫山は研修で学んだことが生かせない焦りや、トマトの生育管理のミスといった挫折を味わいつつ、「効率性とこだわり農業の両立」こそが、自分の追求すべき道ではないかと考えるようになる。この思いは後に、樫山農園の行動指針の一つ「最先端の農業技術と日本人の哲学を基本に 世界に通用する効率的な農業経営をもって樫山農業とする」に結実した。

水田が100ha、1000枚に

トマトのハウスを新設するのは、需要があるのに加え、経営のメインはトマトということの決意表明でもある。というのも、トマト1.3haに対し、水田の面積がなんと100haに達するのだ。
「19年は20ha増えて、20年の稲刈り中に、さらに5haくらい増えた。水田は、徳島県東部全域に広がる感じ」
こう言いつつ、スマートフォンの画面を見せてくれる。言葉通り、県東部の航空写真は管理する水田を表す無数の赤いマークで埋め尽くされていた。営農支援システム「アグリノート」を導入しており、航空写真に管理する田んぼが赤い点で示される。
「売り上げのうち、水田の分が1億円以上あって、トマトより多くなっている」
05年に水田の受託事業を始めた。これは04年にトマトの残渣を肥しとして60aの田んぼにすき込むようになり、それを見た農家から「うちの田んぼもやってくれないか」と声がかかったからだ。加えて、周囲の農家は基盤整備をした条件のいいところを中心に引き受け、条件不利地が断られ、地権者が困っているのを目の当たりにしていた。
「それだと、環境だったり治安だったり、水田の多面的機能というところが全然機能しない。なにより、地権者が困ってしまう。地権者から、ここは条件が悪いけど、お前引き受けてくれへんかと言われて、じゃあやりますというところから、始まった」

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