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新・農業経営者ルポ

普通の考え方、普通にできる仕組みで、人が集まる農業へ

静岡県浜松市北区都田町を車で走ると、至る所にブロッコリー畑が見えてくる。これらのほとんどが(有)グリーンフィールド浜松の圃場だ。脱サラで新規就農時の17年前、新規就農者は露地栽培では十分な収益が上げられないと言われた。その制止を振り切り、自らの信念とビジネスセンスを信じて大規模露地栽培に踏み切った鈴木雅清は、いまでは浜松市を代表する存在となっている。 文・写真/紀平真理子
筆者も受講した静岡県西部農林事務所が主催する「新規就農者経営発展セミナー」で講師を務めていたのが鈴木雅清だった。
「普通の考え方で、普通にできる仕組みを作り、普通のことをやる」
鈴木との会話の中で何度も出てくる「普通」という言葉が、いかに緻密で計画的なもののうえに成り立っているのかをセミナーを通じて知り、さらに派手な振る舞いをしているわけではないのにもかかわらず、常に人が周りに集まってくる。その秘密を探りたく、筆者は圃場へと足を運んだのだった。

起業してみたいという思いで農業へ

鈴木は、22年間勤務した通販会社で営業、事業開発、総務などを経験したのちに2003年に退職し、44歳で就農を決めた。就農の一番の理由は「起業してみたかった」からだ。人生一度しかないから悔いのないように生きたいという想いが鈴木を突き動かした。どの分野で起業するのか思案した結果、「アウトドアと機械が好き、川上の仕事がしたい」という所望から導き出したのが、機械を使った露地栽培でのものだった。当時、浜松市には大規模に露地栽培で営農する農家は少なかった。
「相談に行く先々で『露地じゃ食えないよ』と、施設栽培のイチゴやトマトを勧められました。当時はそれが食えるセオリーだったからね」
それでも、鈴木は畑も空いており、撤退も比較的容易で、施設より費用負担もかからないと考え、露地栽培での就農を進めた。
「実際は、農地を貸してくれた多くの地主さんや社員を雇用したことなどを考えると、撤退も容易ではないと感じています」
新規就農時は、三方原台地で1.2ha程度の借地からスタートしたが、翌年には7ha、現在は浜松市北区、同浜北区、磐田市の約100カ所で総面積29haまで増えた。そのほとんどが借地である。ある程度の面積をきちんと管理していると自然に農地が集まるという。耕作放棄地や遊休農地を解消し、農地利用にも積極的に取り組んでいる。

人の雇用を前提として作目を選択

現在は、28haでのブロッコリーを主軸として、オクラを1ha、トウモロコシを10haで栽培しているが、就農時は15品目を試作し、3品目にまで絞り込んでいった。三方原台地はジャガイモの産地だ。当然、鈴木もジャガイモを栽培していたが、20 09年に春ジャガイモの作付けをやめ、ブロッコリーを増やした。ブロッコリーは雨の日に収穫できることが大きかった。鈴木の圃場は、赤土圃場と、砂地か黒ボク圃場が混在しているが、赤土圃場には重い機械を入れると土が固まってしまい、降雨後3日は圃場に入れない。当地では、ジャガイモの収穫は梅雨に重なり、風乾、選別作業などを考慮すると1日では終われない。継続的に人を雇用するためには「雨の日でも作業できる品目」の選定が重要だという。ジャガイモを一気にやめ、ブロッコリーを増やしたところ、売り上げがぐんと伸びた。
「自分の技術力や畑の水はけなど作目との相性もあります。でも、自分の好きなものを選ぶのがいい。嫌いなものを選んでも絶対にうまくいかない。男女関係だってそうでしょ。嫌いな人の所には行かない。好きだったら、なんとなく寄りたくもなる」

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