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【北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信】
勝者のアメリカから学ぶことはまだ多くある
- 西南農場 代表取締役 宮井能雅
- 第153回 2021年01月28日
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戦後賠償を求めたのはどの国か?
まずは驚愕の金額を見て頂きたい。
■イタリア(72年7月発効)
120万ドル
■スイス (72年7月発効)
1225万フラン
■スペイン(57年1月発効)
550万ドル
■スウェーデン(58年5月発効)
725万スウェーデン・クラウン
■デンマーク(55年9月発効)
30万ポンド
■オーストリア(66年11月発効)
1万6700ポンド
45年8月15日太平洋戦争で日本はポツダム宣言を受諾し、天皇が国民にお言葉を発した。当時の新聞ダイジェストを読むと、日本兵士が天皇の命令に背くことがないことを理解していた、8月30日にバターン号でマッカーサーが来ると、すぐさま横浜に向かったとある。その道中の画像も見たが、3万とも言われる日本の官憲が警備にあたり、マッカーサーの車列に背を向けることになった。この行為は天皇の場合と同じで決して不作法ではないとされるが、ケツを相手に見せる行為が正しいのだから、不思議でならない。
逸話では、マッカーサーが到着した翌朝の卵料理一個を出すのに、ホテルのシェフがどれだけ血眼になって探したのか、その卵が今では物価の優等生になっていることに、時の流れの恐ろしさを感じる。
まずは食べ物だ。つまびらかに覚えていないが、TVドラマで吉田茂がマッカーサーに「このままだと何千万人の日本人が路頭に迷い、餓死者が多数出て暴動が起きる。だから食料をよこせ」と迫った場面があった。マッカーサーはアメリカから砂糖、小麦等をタップリと運ぶが、結局は何千万の餓死からはかけ離れた莫大な量が運ばれた。マッカーサーは吉田茂に「なんだ日本人は餓死しないではないか、要求した穀物量はいい加減だったな」と言ったが、策士の吉田は「そんな正確な穀物量が分かっていたら、アメリカとは戦争はしなかった」と言ったとか言わなかったとか―。
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宮井能雅 ミヤイヨシマサ
西南農場
代表取締役
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約1億円。
北海道長沼発ヒール宮井の憎まれ口通信
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