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特集

米政策パラダイムシフトを乗り切る スーパー稲作経営

もはやニッポンの米は、「神棚」に祭り上げる聖なるものではなくなった。年末の第三次補正予算案をめぐる政府とJA全中との駆け引きで、JA全中が強く求めたコメの緊急買い入れが一蹴されたことは、米もまたマーケットの単なる商品であることを再認識させるものだった。2021年産の転作奨励金は、目一杯出たものの、コロナ禍による消費減退でさらなる米価下落を招くことは確実。「令和の米騒動」ともいえる非常事態に、ニッポンの米がどこに向かえばよいか特集を組んだ。 企画・文/土門 剛

Part1 ウイズ・コロナを乗り切る生産者たち

【土作りの基本に戻れ】
土着菌、ボカシで夢のような稲に
川村 巧さん(ハッピーライス 岩手県矢巾町)

この企画を思いついたとき、トップバッターは、絶対にハッピーライスの川村巧さん(66歳)と決めていた。東北を代表する生産者。コロナで先行きの見通しが立たないときは、急がば回れ、基本に立ち返るしかない。トップバッターに川村さんを起用した理由だ。名刺代わりに川村さんの稲姿をご覧いただこう。

■メディア露出はなくてもとりこになるファン多数
これだけの稲を作る方なのに、なぜかこの記事がメディアへの初登場。確認のつもりで「メディアに取り上げられたことがあるの」と聞いてみたら、「農協に米を出荷しているときは、地元の岩手日報にも載りましたが、農協出荷をやめてからは、新聞に取り上げられたことはありません」という経緯があったそうだ。
その川村さん、農水省にもファンが多いことはあまり知られていない。元幹部で局長級以上をイニシャルで紹介すると、Oさん、Hさん、Sさん、みんな心の底からの川村ファンだった。うち1人は「自分を飾ることなく、真摯、実直、誠実、それでファンになった」と打ち明けてくれた。
川村さんとは1999年に知り合った。夜8時頃にかかってきた電話が初めてで、いささか切羽詰まったような声で相談事を切り出してきた。いまも鮮明に覚えている。農協に出荷しないので地域から嫌がらせを受けているという悩みだった。即答したのは、「構いなさんな。そのうち、連中はグーの音も出なくなるから」。10年ぐらいで回答通りになった。
川村さんは、地元高校を出て、新日本製鉄(現日本製鉄)釜石製鉄所に就職、ほどなく千葉・君津製鉄所に転勤、4年勤めて22歳のときにUターン。当時は、水田が2.7haしかないので、地元農機具店に勤めながら、家業の農業を手伝っていた。お父さんが倒れたことから農機具店をやめて専業農家になった。4年の会社経験で学んだ工程管理は米作りにも活かされている。

■土着菌を徹底勉強 白鳥は知っている
さて稲の写真。茎数、茎の太さ、根の張り方、この稲を見た方は異口同音に「夢のような稲」と感嘆する。毎シーズン、高温の年も低温の年も、秋にはほぼこの稲姿。気温によってブレたりすることが少ないのだ。

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