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【Economic eye】
在野のエコノミスト 稲葉秀三 アカデミーに身を置かず国家社会に尽くす
- 評論家 叶芳和
- 第9回 2021年02月25日
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稲葉は戦前、企画院に勤め「物資動員計画」の策定に参加していたが(作業の結論は戦争をやるべきでない、米英を相手に戦争を構えたら国力が持たない)、昭和16年、和田博雄氏(後に経済安定本部長官)らと共に、いわゆる“企画院事件”で逮捕され、18年に保釈となった。釈放後、稲葉は戦時経済に関する資料や統計類の収集に取り掛かり、「戦争経済というものを記録して残しておく仕事を一生かけてやっていきたい」と決意していた。
戦後は、敗戦から3カ月後の1945年12月1日に、財団法人国民経済研究協会を創立し、戦争末期から着手していた資料収集を継続し、昭和10年頃から急速に進行した軍事経済への傾斜を分析した。同時に、物資供給力に重点を置きながら日本経済を測定する調査を行ない、日本経済の復興とあるべき将来の新しい発展方向を研究する研究機関を目指した。
終戦からわずか100日後という時点である。日本は敗戦に伴う荒廃の極にあり、ほとんどの日本人が茫然自失の状況にあった中で、戦後経済の再建と新たな発展を目指したことは驚くべきことである。同協会はまだ食うや食わずの生活の中で、日本の未来に向けて議論を始めたのである。
戦後は、敗戦から3カ月後の1945年12月1日に、財団法人国民経済研究協会を創立し、戦争末期から着手していた資料収集を継続し、昭和10年頃から急速に進行した軍事経済への傾斜を分析した。同時に、物資供給力に重点を置きながら日本経済を測定する調査を行ない、日本経済の復興とあるべき将来の新しい発展方向を研究する研究機関を目指した。
終戦からわずか100日後という時点である。日本は敗戦に伴う荒廃の極にあり、ほとんどの日本人が茫然自失の状況にあった中で、戦後経済の再建と新たな発展を目指したことは驚くべきことである。同協会はまだ食うや食わずの生活の中で、日本の未来に向けて議論を始めたのである。
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叶芳和 カノウヨシカズ
評論家
1943年、鹿児島県奄美大島生まれ。一橋大学大学院経済学研究科 博士課程修了。元・財団法人国民経済研究協会理事長。拓殖大学 国際開発学部教授、帝京平成大学現代ライフ学部教授を経て2012年から現職。主な著書は『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞社1982年)、『赤い資本主義・中国』(東洋経済新報社1993年)、『走るアジア送れる日本』(日本評論社2003年)など。
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