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特集

「ゲノム編集食品」として初めて届け出されたゲノム編集トマトのこれからを占う


GMの失敗の始まりはスターリンク事件で安全性に疑問が持たれたことだ。家畜用のトウモロコシが食用に混入していれば、多くの人が不安を持つのは当然である。ゲノム編集食品についても不安を煽る情報が出始めているが、安全性に関する情報の発信は何より重要である。日本の裁判制度には懲罰的賠償がないので米国のように弁護士事務所が集団訴訟を起こした例はないが、たとえ1件でも訴訟になるような事態を招かない注意とともに、「目的のために手段を選ばない」一部の市民団体への対応も必要である。
2番目は「誰のメリットなのか」という問題だ。GMの大部分は除草剤耐性と害虫抵抗性で、そのメリットを享受するのは農家である。農産物の安定供給を助け、価格を安定させるなどというメリットは消費者には見えにくく、「リスクだけを負わされる」と感じてしまうのだ。この教訓を生かしてゲノム編集食品は消費者のメリットを優先すべきと考えられ、その結果生まれたのがGABAトマトであり、毒性がないジャガイモや肉厚の魚などである。
3番目は「選択の自由」である。GMに関する論点は多様で、その一つに「神学論」、すなわち遺伝子は神の世界であり人間がこれに手を付けることは許されないと考え、GMに反対する人が多い。2番目は「感情論」で、「遺伝子が入っているものなど食べたくない」という話を聞く。遺伝子がGMにだけ入っていると誤解した例である。「安全でも嫌」という話も聞く。安全と主張する科学者や行政を信頼できないためだが、理解していても感情的に嫌だという人もいる。「科学者は安全と言うけれど、孫やひ孫の世代にどんな被害が出るか、今の科学で将来のことなど分かるはずがない」という
「不可知論」もある。しかし、科学はそれほど不完全ではなく、子どもや孫に伝わる遺伝子への影響を調べることで予測できる。これらは「プロセス(過程)主義」と「プロダクト(産物)主義」の対立とも言える。豆腐の原料がGM大豆か非GM大豆かを問題にする立場と、安全性と栄養と味が同じなら原料がどちらでもいいという立場だ。この対立の解決は、嫌な人が避ける権利、すなわち選択の自由を守ることしかない。ゲノム編集食品は検査をしても自然の食品と見分けがつかないし、輸入品の分別管理もないので、「ゲノム編集ではない」という表示の真偽を科学的に判断することは難しく、だから表示は義務化されていない。しかし、消費者の選択の自由を守るために、表示を行なうことは重要である。

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