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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

日本は小作人根性に溢れている(7)

今回は地域の話をしよう。人を侮辱するような単語が世の中にはあふれている。例えば、バカ野郎、犬畜生、アホ、ボケ、カス、チ〇カス野郎、ハンカクサイ、ウソつき野郎、キモイ、ウザイ、ムカつく、ダサい、ダルイ、最低、などなど。四文字熟語だと、愛揚葉児、悪逆無道、唯々諾々、衣冠禽獣、意志薄弱、一言居士、一班全豹、烏合の衆、有財餓鬼、横行闊歩、屋下家屋、などなど。
初めて聞く日本語は相手を罵倒するロシア語、英語よりも、侮辱する言葉は少ない?と書いてあるものもある。

農業委員会はなぜできた?

ところで農地はアパマン、三井不動産に行って「あの土地買いま~す」とはいかない。農地の売買は全国津々浦々およそ1700ある農業委員会の仕事であり、農水省のホームページには「農地等の最適化……」云々と書かれている。私はカン違いしていた。農業委員会は、あの金髪・ブルーアイのマッカーサーのGHQの指令ではなく、太平洋戦争の3年前から存在し、日本文化が染みついた小作農の地位向上を図り、農民の生産意欲を高める意図もあった、らしい。そして、戦後GHQの御旗を利用した農水省の知恵者が農地解放を策略したとの文章もある。
ではなぜ1938年に農業委員会ができたのか? 私はこう考える。そのさらに2年前の1936年2月26日に、陸軍青年将校等1500名がクーデターを起こした。大不況により農産物価格の暴落などがあり、農村ではまさしく“おしん”のような人身売買が行なわれていた。当時の世の中は財閥主体の経済となり、欧米の資本主義からは何世代も遅れた、よく言えば草創期、悪く言えばやったもん勝ちのビジネスモデルの悪用である。その辺りは今やっているNHKの大河ドラマを参照にしていただきたい。農村を良くしたいと考えた農村出身の青年将校はこのクーデターに失敗して処刑され、何も知らされず参加した兵士は大陸の最前線送りとなった。騒ぎが沈静化されたと言って、世の中が変わるわけではない。そこで彼らの意を汲んだ人達が農業委員会の前身を作った。いかがでしょうか、尊敬する農水省のみなさん。

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