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「ルポ」に登場したあの人はいま

(有)興里 代表 中村泰明(和歌山県岩出市)

「農業経営者ルポ」の第34回で「日本そして日本人だからできる世界への挑戦」と題して中村泰明さんをレポートした。そして22年経った現在、経営者・中村さんは、さらなる新しい分野で挑戦している。当時のルポでは、中村さんを「現実的技術」と「経営センス」を兼ね備えていると評した。現実的技術とは、優れた栽培者であると同時に、現場で起こっている問題を解決し、新しい経営のイノベーションを起こすことである。農業は常に国際競争力を持たねば生きていけない。日本の市場は、世界に開かれており、いつでも競争相手が押し寄せてくるのだ。質と価値を提供できなければ日本では生き残れない。もともと中村さんは、花卉業界は補助金に頼ることなく、自らの手で事業を守り抜くことしか道はないと思う農業経営者だった。 文/土下信人
(有)興里
中村 泰明氏
(和歌山県岩出市)
昭和23年生(72歳)。(有)興里代表。MJK みらい事業協同組合理事長(和歌山県岩出市西国分)。興里農場、2,000坪、バラ生産、1,000坪苗生産。インドネシア農場3ha。

インドネシアにバラ農場を作る

花卉の業界をグローバルな視点で見ると、ヨーロッパはケニア、エチオピアに農場を持ち、アメリカはエクアドル、コロンビアに農場を持った。日本は、中国、台湾、タイに進出しようとしていた。なぜ、ヨーロッパやアメリカは縦の移動であるのに、日本は横の移動なのだろうかと中村さんは疑問に思っていた。赤道直下の高冷地は周年同じ気候であり、常春の気候で、花を作るにも縦に移動する方が明らかに有利だ。とすればインドネシアだろうと思い、インドネシアをくまなく回り、西ジャワの3000mの山が連なる裾野にある1000mの高地に土地を確保した。それは2003年のことだった。インドネシアは労働力も豊富で安かった。バラ農園として、3haの温室を建設し、バラの生産をして、日本に輸出することで、高品質のバラが提供できるようになった。日本では、夏場は高温でいい品質のものができないのだが、インドネシアで作ることで高品質のバラを作ることができる。インドネシアは人件費などが安いことから、バラの育種にも取り組んだ。インドネシア農場で育種し、日本人が好む興里オリジナルのバラを作った。種苗登録も3品種取得した。現在、日本の興里農場では、バラはすべてオリジナル品種で栽培している。

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