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人生・農業リセット再出発

ジョン万次郎

高知の足摺岬で講演でしたかぁ! “マン・ジョンジロ~”の出身地ですねぇ」と、シャンゼリゼのレストランでCAと。マン・ジョンジロ~、なんか違うよぅ~な? ほろ酔いでシャワーを浴びながらハッと気づく。アホかぁ~、ジョン・マンジロ~だろッ!
1879年にエジソンが京都の竹繊維フィラメントで電球を発明するまでは、米国の明かりの源は鯨油だった。機械油としても重要な捕鯨の帆船は大西洋からインド洋、太平洋へ移った。鯨油の樽が満載になる3年近くは国に帰ることなく漁が続き、食料や燃料補給の寄港地は必須だったが、日本は300年近い鎖国で外人は殺されると船乗りには常識だった。日本より小さい島国の大英帝国は、蒸気機関発明の産業革命で地球上の4分の1を植民地化し、中国の次はグラバーを手先に薩摩と長州に肩入れして幕府転覆を狙っていた。最強陸軍を誇るフランスはインドシナを植民地化し、江戸幕府に付いた。ロシアも侵略を企て、米国も捕鯨船の食料補給で日本に接触を図るが、ペリーは恫喝に転じて1853年7月8日、黒船4隻で大砲をぶっ放した。オランダ語だった江戸時代に英語で幕府は大騒ぎして、通訳したのが足摺岬の中浜村で元貧乏漁師のジョン・マンジローこと、中濱萬次郎だった。

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