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新・農業経営者ルポ

日本一のイチゴを目指す宮崎のネクストファーマー。


最初からイチゴ農家を継がなかったのは、家族経営が嫌だったからだ。だからこそ福岡で就職した。家族とイチゴを作ることは、やはり、そう簡単ではなかった。肥料の与え方など栽培にしても、どうも父親の行なっていることに納得できないことが多く、意見が衝突してばかりいた。また、農協のイチゴ部会に出荷すると、値段がほとんど自分たちで決められないことも嫌だった。とにかく、父親の真似をしてもイチゴの未来はないと思い、熊本や福岡に出かけ、いいイチゴを作っていると評判の農家を見て回った。すると、ぼんやりと自分なりのイチゴ栽培と経営のあり方が見えてきた。

経営のルールを決めたが、温室が台風で水没する。

研修を終え、自分で農地を借りてイチゴ生産を始めた。その際、経営のルールを決めた。第一に、家族経営ではなく、会社組織にして、人を使って経営する。そのため、妻はほかのところで働く。決して、家族に甘えないイチゴ経営をする。第二に、イチゴを栽培して販売するためには、作業をマニュアル化しないといけないと思い、作業基準を作っていった。第三に、農協の部会を通して売るのではなく、自分で売ることに専念する。イチゴを食べて美味しいと言ってもらいたい。そうルールを決め、スタッフを集め、イチゴを作り始めたのだったが、災害に襲われる。
2018年10月、日本列島を縦断した大型で強い台風24号により、温室は水害に見舞われた。35?aで土耕栽培をしていたイチゴが水没したのだった。
泣くに泣けない状態で、自然の恐ろしさを実感し、農業を舐めていたと反省した。もともと、農場は水害に遭いやすい地域だった。こんなことで負けるものかと思い、影響を受けづらい高設イチゴ栽培に切り替えることにした。スタッフが支えてくれたのも嬉しかった。うまくいかないときには、素直にスタッフに協力を乞うことを学ぶことができた。福岡空港で働いていたときの存在の希薄感から、自分だけでやろうとするのでなく、スタッフと一緒に取り組むことで、イチゴ栽培ができるという充実感を得た。そのとき、前向きに立ち向かう姿勢が重要だと悟った。イチゴが水没することで、みんなが成長できた。

日本一の美味しいイチゴを目指す。

イチゴを栽培する中で、近くにいて目標とし、尊敬している農家に会った。いろいろ指導もしてくれた。その農家は土居哲美という人で、タイのチェンマイで胡蝶蘭の苗を作り、胡蝶蘭の大量生産リレーシステムを作った人だった。ダイエーで価格破壊の胡蝶蘭販売をした伝説の人である。温室が事務所となっており、その事務所にはポルシェとでかいアメリカ車が2台並んでいる。農家として経営センスが優れており、今は、自分で種苗登録したバナナを作っている。1mばかりの丈で実がなるバナナだ。その土居から、「Tmg」という微生物有機資材を紹介されて使ったら、全く違った生育をしてくれたのだ。

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