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特集

奮闘する全国各地の地域特産作物(後編)

主要作物と異なり、 地域特産作物は機械化が不十分で、 登録農薬も充実しておらず、 生産に多大な苦労が伴う。 そうしたなかにあっても、 エゴマやオリーブなどで産地化を図り、 事業として成立させていこうと 奮闘している人々が全国各地にいる。 個々の取り組みを追った。 取材・文/苅谷崇之

コウゾ栽培から和紙制作まで一貫/創作和紙 DAICH(石川県白山市)

【全国を放浪して和紙に出会う】

和紙の作り方はいくつかある。その中でもコウゾを使った和紙は破れにくく、丈夫な和紙になる。このコウゾから和紙制作に至るまでの過程を一貫して行なうのが創作和紙DAICHの山浦定雄さんだ。
山浦さんは、もともと名古屋の専門学校でグラフィックデザインを学んでいた。しかし、商業的なグラフィックデザインは自分には合わないと感じ、人間と自然の共存をテーマに何かを作ろうと思い、日本全国を放浪生活した。
半年後に名古屋に戻ってきたとき、『和紙總鑑』という全国の和紙を集めた和紙の大百科事典と出会い、植物を育ててそれを加工してできる和紙に注目する。再び全国を旅し、さまざまな土地で和紙づくりを学んだ。
その後、出身地である岐阜で活動することになる。当地では自然に生えていたコウゾから和紙を作っていた。転機が訪れたのは、1990年に石川県にある、工芸家や作家が集まる「吉野工芸の里」に招かれて移り住んだことだ。陶器や木彫などを扱うさまざまな作家たちが集う一種の芸術村で、山浦さんは和紙の作家として呼ばれた。
地域の資源を掘り起こして、観光資源と地域振興をしようと考えたのが吉野工芸の里であり、販売所とギャラリー、レストラン、体験教室、宿泊施設の複合施設が備えられていた。

【吉野工芸の里】

吉野工芸の里の近くには、もともとコウゾが畑で栽培されていたが、スキー場に変わったりした影響で、休耕田も増え、1965年ごろには一度途絶えた。山浦さんはこの休耕田を利用して、コウゾ畑を拓いた。栽培方法は、放浪生活で訪れた各地の紙すきを学んだ際に習得していた。
「悪く言えば見よう見まねですが、それまでに得た知識を使ってコウゾづくりを始めました」
誰かに教えてもらったわけではないが、コウゾ畑を拡張していった。

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