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スマート・テロワールの実践者たち

業種を越えた企業戦略のお手本“王道の農業経営”

日本における、“農業経営の王道”とは何か。農協の言うとおりに農薬と肥料と農機を買い、当局の言うとおりに日本スケールの“大規模集約化”を試みて、米を作れば王道… だった時代があるのだろうか。
全国津々浦々に、高品質の農産物を安定的に出荷する“生産者”はいる。その中には、自分独自の技術を磨き上げる、令和の“篤農家”もおられる。だが、“経営者”はどのくらいいるのだろうか。
“生産者”と“経営者”は何が違うのか。生産するだけでなく、販路に留意して6次産業に成長させれば“経営者”と呼べるのか。いや、経営には販路だけでなく、ビジョンと戦略と組織運営が必要だ。
他方で農業の経営と他産業の経営は同じなのか、たとえば他産業には会社を渡り歩く「プロ経営者」というのが出てきているが、プロの農業経営者も農地を渡り歩くようになるのだろうか。いやそういうことにはならないのか。
以下では(株)さかうえの農業経営を非農業者の“地域振興評論家”に過ぎない筆者がなぞってみる。そこから何か新しい視点をご提供できるものか、懸命にトライしてみたい。

鹿児島県志布志市という土地柄

鹿児島県志布志市は、日本本土最南端の国際貿易港である。
旧国では日向国(今は主に宮崎県)だが、鎌倉時代から江戸時代まで島津氏の領地(薩摩藩領)だった。そのためか、明治初頭に宮崎県が鹿児島県に統合され再分離した際、鹿児島県に残った。とはいえ筆者の観察では、同じ旧薩摩藩でも、薩摩(西半分)、大隅(東半分)、日向(東の隅)では地域文化が違う。理屈好きで役人組織の強い薩摩に対し、良くも悪くも有力者の個性が表に出やすい大隅、平等指向で大らかだが詰めの甘い日向、という感じだ。鹿児島出身の経営者として有名な京セラ創業者の稲盛和夫氏は、典型的な大隅人である。志布志は日向ではあるが、後背地は大隅なので、どちらの傾向もある場所だ。
紺碧の志布志湾には、延長15kmほどにわたって美しい松原と砂浜が残されているが、高度成長期には石油化学コンビナートを念頭にした「大規模工業基地」として、開発されかけた過去がある。しかし、当地出身の田中派の有力政治家・二階堂進の政治力が今一つ及ばなかったのか、開発が進む前に石油ショックが到来した。おかげで北海道の苫小牧東部や青森県のむつ小川原のような広大な未利用造成地は残らずに済んだ。
志布志港周辺で一部埋め立てが着手されていた部分は、現在では南九州随一の規模の国際物流港湾となっている。背景には、かつて期待した工業とは異なる産業の、志布志を核とする広域での成長がある。畜産だ。

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