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新・農業経営者ルポ

子供に導かれ、福祉農園という出会いと学びの場ができた

猪瀬良一は、自閉症児の親となったことを契機に、農業を通した障害者の自立と都市近郊に広がる農地の保存と活用を目指す、見沼田んぼ福祉農園を設立した。そこは単なる障害者福祉の場ではない。子供から高齢者までが、農に触れ、互いの関係性の中で現代社会に失われた人の繋がりを取戻し、未来を生み出す学びの場にもなっている。そこには、過剰の時代であればこその、農業の事業的可能性を予感させる何かがある。(写真撮影=見沼田んぼ福祉農園・昆彩子)
 「子供に導かれて生きてきたようなものですよ」 猪瀬良一(56歳)が代表を務める見沼田んぼ福祉農園の設立を呼びかける運動を始めて20年。開園して7年になる農園の活動を伝えながら、猪瀬はそう言った。

 猪瀬の長男・良太は自閉症児として生まれた。現在、33歳。良太は毎日、見沼田んぼ福祉農園に出勤している。

 見沼田んぼ福祉農園は、さいたま市内の障害者団体に所属する障害者(知的障害、身体障害、精神障害)に農作業の場を作り、職業的自立の足がかりを与えるという目的で設置された。猪瀬は、それを単なる障害者のための福祉農園にとどめず、「見沼田んぼの農的な環境を生かしながら、『誰もが共に』自然とふれあい、農を楽しみ、人と出会い、関係を広げていける場」にしていきたいと考えた。

「見沼田んぼ」とは、川口市や東京の下町地域を洪水から守る調整地として、旧浦和市という東京近郊にもかかわらず1200ha以上の広大な農地が開発規制を受けて残された地域の呼称である。そして、見沼田んぼ福祉農園は埼玉県の「見沼田圃公有地化事業」の一貫として実現したものだ。

 見沼田んぼ福祉農園が発足したのは1999年4月。猪瀬がそれを構想し、設立の呼びかけを始めた86年から数えて14年目の開園だった。さらに、開園から7年、耕作放棄されていた約1haの農地は、ボランティアの手によって整備され、約80aの畑に様々な作物が育つ農場になった。ここに至るまでには、多くの篤志家の支援や本田技研工業(株)からのでの農作業農業機械の提供もあった。行政から農園管理運営費として一定の予算はつけられているが、猪瀬やボランティアたちは無給だ。

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