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ある本には、陸戦で死ぬのは1/3で、残りは病気か餓死になると記載されていた。特に昭和19年(1944年)以降の被害が多いようだ。食べ物を奪い合う姿、驚いたのは塩の存在だ。この塩が内陸に行くと調達が難しく、それなりの物と交換しなければならない。ヤシの実も勝手に取ると現地の人たちと揉めるが、敵の爆撃がある時はヤシの実が落ちるので調達しやすかった。
敵の強さよりも、指揮する上官が弱音を吐くことが一番恐ろしい。しかし、部下をイジメすぎると、日本へ帰る輸送船で何名か消えてしまう(デッキから突き落とされる)こともあったようだ。情けないことに、あれほど「バンザーイ・バンザーイ」と兵士を送った国民のなかには、兵士の帰国に「お帰りなさい、ご苦労様」も言えない者がいた。兵士が戦った相手がアメリカか、イギリスかオランダか中国かではなく、日本に対する“敵”はすぐそこにいたのである。
日本兵士(敵兵士)の多くは外国人を見たことも話したこともない、まして金髪ブルーアイの習慣など知るはずもなく、土日は休みパーティーに興じる怠け者だ!と朝日新聞や毎日新聞に洗脳されてしまった。だから、それらの新聞は戦後反日になったという理論だ。考えて見ればたくわん、味噌汁、だけがおいしいと思っていた日本人が牛肉をたらふく食べられるようになったのはいつなのか、一度牛肉とマックを覚えた人間は麦飯だけに戻れない。
戦いは南だけではない。カムチャッカ半島のすぐ数キロの占守島では8月15日ポツダム宣言後の18日に、ソ連から攻撃を受けた。その時の指揮官が兵士に問う言葉は胸に響いた。
「諸子は赤穂浪士のように恥を忍び後世に仇を報ずるか、白虎隊となって民族の防波堤となるか」。1銭5厘は召集令状の切手代金だ。死んだときの通知も1銭5厘。その魂が眠る靖国がダメなら、今の国民はなぜ無名戦士が眠る千鳥ヶ淵に向かわないのか―。
日本人の本質は変わらない
今回は勇ましく戦争の話を書きたかったわけではない。今も当時と何も変わっていないということを伝えたいのだ。現在においても、声高々に言うのは反戦、オーガニック、遺伝子組み換え反対、そして最小の共通項は反日である。日本の反戦主義者が反戦を貫けば日本は外からの攻撃に対応できるのか、できるわけがないだろバカ!
日本の湿潤気候で病気も発生しないでオーガニック作物が健全に育ち、アメリカのようにオーガニックの専門スーパーで、ノンオーガニックの1・5倍の値段で販売できるのか、できるわけないだろアホ!
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宮井能雅 ミヤイヨシマサ
西南農場
代表取締役
1958年3月、北海道長沼町生まれ。現在、同地で水田110haに麦50ha、大豆60haを作付けする。大学を1カ月で中退後、農業を継ぐ。子供時代から米国の農業に憧れ、後年、オーストラリアや米国での農業体験を通して、その思いをさらに強めていく。機械施設のほとんどは、米国のジョンディア代理店から直接購入。また、遺伝子組み換え大豆の栽培を自ら明かしたことで、反対派の批判の対象になっている。年商約1億円。
北海道長沼発ヒール宮井の憎まれ口通信
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