ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

農業プロデューサーをめざす売上22億の胡蝶蘭農家。


高校を卒業して、西尾の胡蝶蘭生産者の吉田花園で2年間研修して、胡蝶蘭の栽培についてしっかり勉強させていただいた。そこで、胡蝶蘭についての実社会での訓練はできたので、1998年から苗を買って始めた。とにかく、世界にいいことをしたいと思って取り組んだ。あくまで胡蝶蘭は手段だ。農業は好きだし、胡蝶蘭は好きだし、好きなことをやって、「世界にいいこと」をしたい。まずは、日本の農業にいいことはしたい。
出荷初年度(2000年)の売り上げは3000万円にとどまった。しかし、当時の金融機関はよく貸してくれたので、借金が7000万円に膨らんだ。こりゃ大変だと思った。多分、そこで諦めれば、失敗だったと思う。それまでのやり方では、毎年最低でも1000万円が返せないことがわかった。やり方を変えるしかなかった。結局市場に出して、値段を自分で決められない状態が問題だと思った。値段がわからないものを作っているのに、すごい恐怖心があった。そのため、自分で価格を決められる売り方に変えた。市場では売らないようにした。ホームセンターなどに販売をして、そこから直接売るようにした。ホームセンターの大手に、直接口座を持つようになった。そこから、やっと経営らしくなった。自分で価格を決められないような売り方が問題だ。それを変えることだった。現在、役員と社員
は、3つの会社合わせて60人(パートさんを入れて115人)に成長した。

諦めない経営をする。

事業を成功させた現在、農場見学に訪れる同業者も少なくない。成功の秘訣は何だろうか。
「諦めない」経営を貫いてきたことが大きい。とにかく、死ぬまで後悔しないようにと思っている。やろうと思ったことを諦めないで、走り続ける。そんな人生を送りたい。
栽培に関して、きちんとしたものを作るスタッフがいるおかげで、自社生産の胡蝶蘭の品質が良くなってきた。だから協力農家も減らした。いいものを作らないと日本では売れない。
たくさん見学者も来て、「どうしていいものができるのか」と聞かれると、農場責任者の高木がよくこう答える。「私はサラリーマンですから。いいものを作るように作ります。社長が来て、胡蝶蘭の間隔をもっと詰めろと言うのですが、『それは経営的に良くても、品質的に良くない。胡蝶蘭がよくなる間隔があるのです』と反対します」
まぁそんな風に言われたので僕が口を挟まなくなったから、よくなったのかなぁ。そこらあたりが、社長の難しさかもしれない。

関連記事

powered by weblio