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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

最後の親孝行

突然訪れた父との別れ

父が亡くなり10年。最後は相変わらず酒も飲めないのに、ぽん友とススキノの行きつけのスナックでカラオケをして悠々の午前様。午後3時ころに起きて、腹が減ったと母が前日に作った煮物のニンジンをのどに詰まらせて窒息。
母は慌てて事務所にいた私のところに来て「とーさんが大変だ!」となり、慌てて親の家の食堂に向かった。
のどにあるだろうニンジンを指で探ってみたが見当たらず、救急車が来るまで「おやじ頑張れよ!」と両手を強く胸に何度と押し当てた。救急車が来て「ミヤイさん代わります」となり、町立病院に運ばれる。運を天に任すとはこのことなのか。心の中で1時間以内に病院から連絡があれば、助からないだろうと覚悟は決めて、事務所の壁にかかったジョンディアの時計を見続けた。
そして、その時は来た。45分くらいで病院にいる母から電話が入った。事務所で待っている間に小学生だった息子が帰って来たので、一緒に病院に向かった。しっかりと人の死を理解させるためだ。町立病院の3階の待合所の向かいの病室のドアを開けた。父がベッドに横たわり、母と30歳くらいの女医さんと看護師さんが2名いた。
病室に入り10秒もしないうちに女医さんから「脳に10分以上血流がない状態です。どうされますか?」とダイレクトな答えが返ってきた。母と話させてくださいと言い、息子、母と私は病室を出た。
当然、母は何とか生きてもらいたいと廊下で下を見ながら話す。 “脳に10分以上血流がない”、それは病院に着いてからの時間で、実質45分間、脳に血流が送られていないのだ。ということは、医学の知識がなくても、医療ドラマのうろ覚えの知識上、植物状態も難しいことになる。母は東京にいる二男と長女が帰って来るまでは温かい体でいて欲しいと言う。私は「楽にさせたほうが良いのではないか」と落ち着いて話した。

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