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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

最後の親孝行


私は一度病室に戻り、「ほかに延命の処置のやり方はありますか?」と聞いた。女医さんは「○○○○剤を打てば15分心臓は動きます。その15分後に2度目を打つと10分、その10分後に3度目を打つと5分間心臓は動きます」と淡々と答えた。私の判断で「先生これ以上の治療は望みません」と伝えた。
女医さんは聴診器を使い、たぶん脈を確認、ライトで瞳孔を確認、この二つで1分程度の時間だった。女医さんは静かに「ご臨終です」と言うと部屋を出ていった。
すべてが何か儀式のようであり、テレビドラマさながらのように時が流れた。父の体はどうするのか看護師さんに聞いた。「今日中にご自宅に運んでください」。すぐ契約している葬儀屋に連絡を取り、1時間くらいで病院から自宅に向かった。
私の兄妹たちにはまだラインが普及する前だったので、携帯のショートメールで「父逝く」とだけ送った。10歳だった息子はずーっと無言のままだった。
次は葬式の準備だ。なんせ40年以上身近で葬儀を行なったことがなかった。母に聞いてもわからないと言う。お寺も葬儀の10年ほど前からの付き合いで長沼から50km離れたところにあった。とりあえず連絡をすると、住職はいなかったので伝言を頼んだ。
なんと葬儀には3つの寺から3人の住職が来た。葬儀は会ったこともない住職が務めることになり、その両サイドには先ほどの住職が陣取っている。仕方がないので葬儀終了後、私が「これからどなたにお願いすることになるのでしょうか?」と聞くと、スーと一人が手を挙げた。
祖父は4回結婚した(4回目はじゅうこん)1人目、2人目のおばーちゃんとは死に別れで、私が知ってるおばーちゃんは3番目になる。後で知ったが、父は2番目のおばーちゃんの子供で、私が知っている50km離れたお寺ではない、隣町のお寺に生前訪れて、その寺の住職に私が死んだらここで葬儀をお願いしたいと伝えたらしい。そんな話は母も私も聞いていなかった。
たまたま札幌で私が電話したお寺関係者(浄土真宗)の会議があり、父がお願いした住職がたまたまその話を聞いて、カクカクシカジカだからと父の葬儀を仕切ることになったそうだ。もしその会議がなかったら、たぶん別の住職が我が家の担当になったのだろう。もしかして、父の母がその会議とその時を作ったのであろうか。

頼みの綱はキイトルーダ!

母は2019年8月2日に他界した。他界する年の春に調子が悪くなり、生まれ故郷を訪れていた香川の病院に診てもらったが、すぐに北海道に帰ったほうが良いと言われた。4月に国立がんセンターですい臓がんが見つかり、余命1年を私と妻、母の前で宣言された。その1年も私の聞き違いのようで“長くて”だったらしい。

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