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江刺の稲

64年東京オリンピックの思い出

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第302回 2021年08月23日

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1964年10月10日。東京オリンピック開会式の日。高校1年生の僕らは午後、サッカー部のトレーニング中だった。午前の授業後は家に帰ってオリンピックの開会式を見たいというのが1年生部員の本音だった。もう校舎には誰も残っていない。夏を思い出させるような日差しの中で1時間以上練習が続いていた。
いつものことながらコーチ役の先輩Aさんに叱咤されグラウンドを走り回り、誰もがかなりへばっていた。その時、Aさんが「空を見ろ」と叫んだ。ブルーインパルスの機体が五輪マークを快晴の空に描いていた。オーッと声を上げて皆が仰いだ。その後の練習がどうだったかは思い出せないが、その一瞬、疲れが飛んだことを覚えている。
今から半世紀以上前のことなのに、64年の東京オリンピックのことはよく覚えている。グラウンドで見た開会式のブルーインパルスだけでなく、サッカー後進国だった我が国が、釜本、杉山らの活躍で想像もしなかった準々決勝進出(注:68年メキシコ五輪では3位)。そもそもオリンピック以前の日本には芝生のサッカーグラウンドすら無く、国際試合でも後楽園競輪場の芝生で開催されたりもしていた。ローマの裸足のアベベは東京では靴を履いて2連勝し、ゴールした後も余裕の姿。メキシコ五輪を前にして自死した円谷選手が競技場に入ってからヒートリーに追い抜かれる苦しみに満ちた顔。鬼の大松に率いられた東洋の魔女と呼ばれた鐘紡貝塚のチームが強豪ソ連を破った決勝戦。女子体操のチャフラフスカの優雅な演技。今の体操と比べるとその技術レベルは素人目に見ても雲泥の差があることはよくわかるが、観客はその演技の美しさに酔いしれた。そして、日本の神永を押さえ込みで破り、日本柔道界を震撼させたアントン・ヘーシンク。日本柔道が外国選手に負けたという驚きだけでなく、ヘーシンクの勝利に興奮したオランダ人観客が試合場に上がってきたのを手を挙げて制したヘーシンクの姿も強く記憶に残っている。今回のオリンピックで日本は多くのメダルを獲得したが、日本選手の中にも勝って畳上で喜びを爆発させる姿があった。ましてや海外選手にはあのヘーシンクの柔道家としてのマナーは伝わっていなかった。

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