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新・農業経営者ルポ

農民であっても、義のために闘うサムライ。



160haの稲作。

コメは、「みねはるか」「天のつぶ」「コシヒカリ」「きぬむすめ」「あいちのかおり」などを作っている。品種を多くしているのは、田植えと収穫期間を長くするためである。1反でだいたい7俵を目標にする。問題は田んぼが実に狭く、狭い農地でも借り受けているので苦労している。その数、800枚に及ぶ。
現在1俵1万2000円で取引している。内税のため、交渉しているが改善しない。この価格問題が大きい。米穀商たちは、売るときには外税にしており、内税分が大きな儲けになる。生産農家はあくまでも不利な状況に置かれている。
営農を始めたときには、キクを作り、その後イチゴを作った。イチゴは2000坪ほど作り、旧田原農協では変人と言われていた。それは新鮮組を設立後、稲作の規模拡大のために、トラクターや田植機、乾燥機、籾摺り機など、2年間で2000万円ほど設備投資をしたからだ。
ドイツ製のトラクターを購入すると動きがおかしくなった。オイル交換する際にトラブルがあり、田原農協にそのことを言ったら、なんら対応しない状態が続いた。しびれを切らし、同じようにドイツ製トラクターを扱っている旧渥美農協で修繕してもらった。田原農協の担当者は話し合いにも応じず、そこから関係性が悪くなっていった。反対に、渥美農協からは稲作の作業代行を頼まれ、稲作の規模を拡大していった。
農協が合併して、田原農協の出身者が組合長になると、稲作の作業代行が減った。当時の農協役員は「稲刈りは誰でもできるから、岡本に食べさす必要はない」と言い放った。しかし、農協ではうまくできず、クレームが多くなり、岡本に話が回ってきた。結果的に田んぼを貸す人たちは信頼してくれ、今日の160haになったのだった。

試行錯誤の数々。

農業をどう成り立たせるかということで、岡本は様々な取り組みをした。機械の部品なども、海外から仕入れて販売する。
2009年、キク農家がウイルスに悩んでいたので、情報を集めて「二酸化塩素」を輸入した。耐性菌を作らない消毒薬で、水の殺菌剤なので農薬登録がいらなかった。これはキク農家に非常に喜ばれた。
2011年にはタイで、タイシンハーとコシヒカリ栽培を行なう。広大な土地でコメを作るので、日本は規模で負けることを確信した。インドネシアや中国でもコシヒカリの栽培を指導した。
2014年に安倍晋三総理大臣主導の「国家戦略特区」の日本初の農業特区・モデル地域として、中山間地域農業を行なう兵庫県北部の養父市が選ばれた。人口の減少と高齢化の進行、農業の担い手不足と耕作放棄地の増加に対して、経営ノウハウを有する企業として招請され参入した。岡本は農業には様々な規制があり、それを打破したいと思い参入した。そこで、養父新鮮組を立ち上げた。

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