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新・農業経営者ルポ

家族経営を法人化 危機からV字回復

柑橘だけで4ha、全体で26haを耕作する(株)OCファーム 暖々の里(愛媛県松山市)は、拠点とする難波地区では珍しい大規模経営体であり、新たな農地整備事業で柑橘の団地がさらに1ha増える。代表取締役の長野隆介(40)が2007年に両親の経営から分離独立して立ち上げた同社は、家族を挙げて資金繰りに奔走した経営危機を乗り越え、次のステージへと向かっていた。 文・写真/山口亮子、写真提供/(株)OCファーム 暖々の里

就農3年で父の経営から分離独立

「欠損金が今年、やっと消えるんですよ。会社として、ようやくスタート地点に立ったくらい」
長野はこう言って謙遜する。OCファームの本社は、廃止されたJAの支所に置かれている。農家の高齢化と離農が進む地域にあって、同社には長野をはじめ、若い世代が集う。取締役として生産現場を引っ張るのは弟の洋平(36)。同社は役員のほかに社員7人、パート3人を雇用しており、20代の若者が3人いる。これまでに2人が社員を経て独立した。
本社の窓から見晴らせる農地の多くを同社が耕作する。26haの内訳は、タマネギ10ha、キャベツ6ha、レタス1ha、柑橘4ha、水稲5haだ。そもそも長野の父・佳彦(69)が経営している長野農園の耕作面積が広く、地域の中で目立つ存在だった。特にコメの裏作で栽培するタマネギの面積が3ha以上と、地域で際立って多かった。
それもあって、愛媛県から法人化してはどうかと勧められる。就農から3年が経っていた当時26歳の長野がそれに応じ、長野農園からタマネギと水稲を分離し、07年にOCファームを設立した。ところが、ほどなく経営が悪化し、12年ごろには資金繰りに窮して危機に陥る。長野が同社の利益を示した折れ線グラフを指でなぞりながら説明する。
「ジグザグになっているじゃないですか。社長という肩書にあこがれて、法人化したツケが全部一気に出たところもあった」
長野は「お前が社長になったらどうかと県の人に言われている」と佳彦から相談されたとき、「はい、やります」と二つ返事で承諾した。即決した理由は「友達に自慢できる」と思ったからだ。
「親父も『ほな、やれや』と言ってくれた。農家って親が長い間、経営を続けるじゃないですか。親父も、ふつうはまだわしが……という年齢でしたけど、経営の一部を早く譲ってくれた。自分にとっては何よりも責任ある立場になったというのが、人生のターニングポイントになった」

波があった新規就農者が一転経営者に

それまでは農業に身が入っていないところがあった。長野は家族で最も遅く農場に出ていき、佳彦に「今日は何するん」と聞く。言われた作業が気に入らないと、1人だけ別の作業をしたり、17時になると仕事の途中でも松山の市街地に友人と遊びに行ったり。そんな就農して間もないころの写真を見せてもらった。園地で柑橘を片手に微笑む長野は、アメリカンファッションに身を固めている。
「アメリカから帰って“アメリカナイズされた俺”というか。でっかいバックルのベルトをして、ジーパン履いて農業をする。でも遊びたいというのもあって……波があった」
長野は02~04年に派米農業研修に参加し、帰国後すぐに家業へ入った。研修ではワシントン州の大規模なリンゴ農家や、オレゴン州でカブやビーツを育てる農家で働いた。リンゴ農家では、トラクターで移動していて迷子になる農場の広さに度肝を抜かれ、1000人のメキシコ人が収穫作業をするさまに圧倒された。実家との規模の違いに「ここの技術は日本に持って帰っても(どうもならない)な」と感じた。

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