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原料に不自由しないいまが、さらなる挑戦への好機にもなる。
工場長を務める吉岡尚哉氏は、小学生の頃、ミャンマーで農業指導していた父親に連れられてヤンゴンで過ごした時期がある。木村氏の考え方に共感して事業に参加した。品質へのこだわりは強く、りんごの甘みや香りといった原酒の持ち味をもっと引き出すため、アルコール度数40度以上のブランデーの商品化を木村氏に提案、ゴーサインを出してもらっている。
国産原酒を復活
青森県ではりんご果汁を発酵させたシードル(りんご酒)の製造はさかんだが、ブランデーを製造するのはモホドリ蒸溜研究所だけだ。
県りんご果樹課によると、アサヒグループホールディングス傘下のニッカ弘前工場がアップル・ブランデーを製造していた時期もあるという。しかし、アサヒ広報によると、「現在は国内での製造はしておらず、輸入した原料を瓶詰めして販売している」ということだった。「ニッカブランデーX ・Oデラックス白」(40度)など「白」のシリーズがアップル・ブランデーに該当する。
国産中止時期の回答は得られなかったが、市場の伸び悩みなどを理由に、昭和から平成に年号が変わる頃には打ち切っていたようだ。木村氏のアップル・ブランデーづくりは大手が断念した国産商品の復活を実現したという点でも画期的だ。
30年来の夢の実現
木村氏は、ひところ農場経営面積が日本最大ともいわれた農業法人・黄金崎農場(青森県深浦町)の創業メンバーとしても知られる。同農場を去ったあとも、個人で青森や北海道で大規模な畑作経営を展開している。穀物価格が高騰した2000年代には、ウクライナの農業関係者からも請われて大豆の栽培指導に関わったこともある。
若い頃、独り立ちして最初に挑んだのはウズラの卵生産だった。狭い農地で最大限の収益を上げることができると考えたからだ。大豆原料の健康サプリメントの製造・販売も手掛けるなど、国が6次産業化の看板を掲げるはるか以前から、付加価値の高い農業の確立を目指して、経営革新に粘り強く取り組んできた。
ブランデーづくりに興味を持ったのは、30年ほど前、青森県の研修に参加して、フランスやドイツの農業を視察した時からだ。初めてアップル・ブランデーという大人のお酒の存在を知った。「ジュースはもちろん、シードルも知っていたが、透明なアップル・ブランデーを飲んで、りんごがこんな姿に変わるのかと感動した」という。りんご産地の津軽地方でアップル・ブランデーを作りたい、という夢が膨らんだ。
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木村慎一 キムラシンイチ
(有)サンアップル醸造ジャパン
社長
1950年、青森県生まれ。4Hクラブの仲間とともに76年、農事組合法人黄金崎農場(現・⑭黄金崎農場)を設立。88年、青森県青年農業士会会長に就任。2001年、青森県農業経営士会会長に就任。05年、黄金崎農場を退社し、⑰サンアップル醸造ジャパンを設立。07年、ウクライナで大豆栽培に携わるも、11年に撤退。12年、ミャンマーとロシア(ウラジオストク)で農業指導に当たる。
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