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【世界農業遺産を訪ねて】
大分県 国東半島・宇佐の農林水産循環(後編)
- 評論家 叶芳和
- 第9回 2022年04月04日
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七島藺―貧乏草からベンチャービジネスへ
「新星」現る!の思いであった。世界農業遺産認定の産地は衰退産業が多く、それをいかに保全するかに取り組んでいるので、必ずしも明るい話ではない。しかし、国東半島の畳表素材「七島藺(しちとうい)」は江戸時代からの産業でありながら、新たなベンチャービジネスになろうとしている。
国東市安岐町に小学校廃校舎を活用した「七島藺学舎」がある。そこで、くにさき七島藺振興会事務局長の細田利彦氏にお会いした。細田氏は中津市の畳屋さん(二豊製畳(有)会長)であって、国東半島の人ではない。開口一番、「七島藺を新たなベンチャービジネスにしたい。新たな創業だ」と語る。「産業として振興すべきだ。保全活動ではなく。生計が立たないとダメ」と言う。「農業は事業としての感覚がない。産業として振興せよ」。まさに経営者の発言である。農業関係者とは発想が違う。
畳表の素材は「イグサ」が知られている。しかし、イグサとは別に「七島藺」もある(縁(へり)のない畳〈琉球表〉は七島藺で作られた畳、つまり琉球畳のルーツは国東半島)。住宅建築で和室が主流であった頃、イグサ畳は高級、七島藺表は低級として使い分けされてきた(イグサはイグサ科、七島藺はカヤツリグサ科に属し、同じイネ目ではあるが違う植物)。江戸時代には、武家以上はイグサ畳、庶民は七島藺。長屋は七島藺畳であった。しかし、今や逆転し、イグサ表の畳は1畳で1万5000円、これに対し、七島藺表は半畳3.5万~4万円である。
七島藺の原産地は東南アジアである。江戸時代の初め(1660年代)、豊後の商人がトカラ列島から持ち帰り全国に普及させた。360年の歴史だ。輸出するための産業として導入されたようだ。新製品開発である。農業ではなく、「商工業」として出発したわけだ(農政は“食”)。換金作目であり、すぐ現金が得られる。藩財政を支えるほどの主要作目であり奨励されたが、一方で、年貢米の減少を懸念され、藩から「米も作れ」と言われたようだ。「七島藺」の名前は、トカラ列島に人が住んでいる島が七つあったことに由来している。
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叶芳和 カノウヨシカズ
評論家
1943年、鹿児島県奄美大島生まれ。一橋大学大学院経済学研究科 博士課程修了。元・財団法人国民経済研究協会理事長。拓殖大学 国際開発学部教授、帝京平成大学現代ライフ学部教授を経て2012年から現職。主な著書は『農業・先進国型産業論』(日本経済新聞社1982年)、『赤い資本主義・中国』(東洋経済新報社1993年)、『走るアジア送れる日本』(日本評論社2003年)など。
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