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北海道長沼発ヒール・ミヤイの憎まれ口通信

沖縄で平和な日本の原点を認識した話

昨年11月下旬に沖縄に行ってきた。20年前に農場に来た高校生アルバイトが沖縄で就職して、以前から“おいでコール”があった。当初は武漢ウイルスも収まり海外も目指したが、出入国の煩雑さもあり、未だ見ぬ南国日本に的を絞ったのだ。従業員の慰労を兼ねて、とりあえず平和な日本の原点を認識する目的もあった。
2021年11月30日現在、不発弾処理3万8778件、未だ戦いは続いている。沖縄といえば、やはり1941年4月の米軍との激戦の地でもある。
これまで沖縄についていろいろな話を聞いた。例えば、その激戦時に超老人だったり生まれたばかりで親がいない子どもだったり、関係書類がないために年齢がいい加減な場合があるそうだ。戦争が終わり、戸籍等を復活するために住民に聞き取り調査を行なった時に「何年生まれですか」「今いくつですか」の問いに答えられない状況が多々あったのだろう。
この戦いでは多くの兵士が亡くなった。日本兵9万4136名、米軍兵1万2520名、民間人9万4000名。沖縄出身の次に犠牲者が多かったのは北海道出身で、1万人を超える。そう言えばサイパンの飛行場にも北海道の紋別出身者の慰霊塔があった。民間人虐殺、捕虜の銃殺、ひめゆりの塔、何とかクリフ……どんな戦いがあったのか、ウクライナの現状と比較してしまうこと自体が恐ろしい。
その内容を知れば知るほど、出発前から腹の具合が良くなかった。そのピークは沖縄・那覇滞在中の4日間だった。2人の従業員は北海道から持参した釣り道具を持ち出して一日中海辺にいたり、レンタカーで名所を巡ったりのエンジョイタイムを過ごしたようだが、私は結局ホテルからは食事以外出ないでベッドでネムネム。不思議なことに北海道に帰るとピタット腹の具合は良くなった。やはり精神的なモノだったのだろうか。
でもステーキ食べたな。定番の「88ステーキ」も、知る人ぞ知る「やっぱりステーキ」も食べた。行けなかったが、米軍基地内の「タイヨー・ステーキ」はドルのみの会計で、チップも必要だ。アメリカ本国では有名なA&Wにも行った。ドクターペッパーよりもひどい味のルートビア。これを沖縄のじーさん、ばーさんが喉ぼとけを上下に動かしながらグビグビと胃に流し込むのだ。その食べ物を幼い時から経験しているかどうかが、その人やその地方の食の文化なのだろう。

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