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新・農業経営者ルポ

俺は、農業をやりたい!

梅沢健太はピーマン農家だ。「農家になる!」という志を、鹿児島県志布志市で実現させた。農業に情熱的に向き合い、毎日を楽しみながら、自分らしい農業経営のあり方を追い求めている。 文・写真/新森雄大、写真提供/梅沢健太
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就農から10年しっかり稼げる農業に

取材対象者である梅沢健太から指定された場所へ向かうと、その一帯にはビニールハウスが立ち並んでいた。ここは志布志ピーマンの産地だ。
彼は就農から10年になる。63aの栽培面積に対して、年間収穫量は100~120tに及ぶ。妻の由姫とともに夫婦で経営し、パート従業員などを合わせて7人でピーマンを生産している。
10a当たり収量は20tを目標とする。直近の2021年は21tだった。産地平均は14tほどのため、それを大きく上回ることになる。現在、農業経営は安定しており、稼げる農業を実現できているという。

就農を決意するも……

高校時代の梅沢はサッカーに打ち込み、全国大会への出場経験も持つ。その後の大学進学はスポーツ推薦だった。
大学はあまり深く考えずに農学系の学部を選んだ。研究室で野菜を育て、みんなで食べる。そのことが楽しく、農業の面白さにすっかりと魅せられた。
卒業後、郷里の群馬県での就農を模索するも、実現に至らない。梅沢の家は農業とは無縁だったこともあり、就農への道筋は立たなかった。夢はくじかれ、ひとまず就職することにした。
農業に関わる職場を探し、ホームセンターを運営する会社に入社した。園芸部門の担当を希望するが、配属されたのは建築資材部門だった。その後も園芸部門に回されることはなかった。勤務をこなすなかで、「俺は、農業をやりたい!」という思いがどんどん膨らんでいった。
そんなある日、新規就農希望者向けの「新・農業人フェア」が東京・池袋で開催されることを知る。そのころ交際中だった由姫を誘い、遊びがてら見にいくことにした。
ふたりで会場を回っていると、「志布志のブースがある。行ってみようよ」と由姫が指さす。志布志は彼女の出身地だった。
そこには志布志市農業公社が出展していた。これが梅沢にとって運命的な出会いとなる。
同公社は移住してピーマン農家になる人を募集していた。就農に向けて2年間の研修制度が設けられ、支援制度も充実している。「これなら農家になれる!」と、志布志での就農を決意した。
だが、すんなりとはいかない。結婚を決めた梅沢と由姫は、それぞれの家へ挨拶に行き、鹿児島で農家になる計画も打ち明けた。就農に対して、梅沢の両親は猛反対する。

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