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特集

農業と食の安全を脅かす「ポピュリズム」

本誌の創刊当初である1993年ごろは、農業団体や被害者意識を植え付けられた農民層にとって、時には「百姓一揆」などというのぼりを立ててデモをするといった時代もあり、また農業団体も力を持っていた。当時の農村や農業界に関わる政治家たちもまた「断固反対」と叫ぶのが彼らにとっての「政治的リアリズム」だったのだろう。 しかし、細川内閣であったからこそウルグアイ・ラウンドの農業合意はすんなり認められてしまった。農業界の人々ですらすでにそんな時代は過ぎ去った過去だと思っているだろう。また、農業界もその当時のような圧倒的圧力を持った勢力ではなくなった。それでも、コメの先物市場成立はつぶされてしまった。
今の政治家や官僚たちにとって彼らに見える「政治的リアリズム」とは何なのだろうか。かつてのそれとはかなり異なり、むしろSDGsがらみの「みどりの食料システム戦略」への迎合のようなことが彼らの関心事のようにも見える。農業というより環境問題のようなものなのではないだろうか。それに呼応するポピュリズム(大衆主義)の方が目立つ。
それが国際公約が背景にあるとはいえ、私から見るとSDGsだとかみどりの食料云々という言説にかなり危うさを感じている。温暖化を止めるという命題はありながらも、私にはそこにポピュリズムを感じるのである。
そこで今、農業政策決定過程にある政治家、官僚たちに見える政治的リアリズムとはどんなものなのだろうか。かつての時代、そして現代においてはポピュリズム(少なくとも私にはそう見える)に支配されているのではないかという疑問からこんなテーマを検討した。
ネットメディアの影響拡大は情緒的で科学的根拠によらない情報が社会に広がり、それをメディアが後追いするというようなことがある。民主社会において国民各層に広がる意見に政治が気を使うことは当然のことだが、ポピュリズムに陥った政治や行政の混乱は困ったことである。また、政府自身が示した基準によって国民が混乱し、さらにメディアの煽りにより政府自身が適切な対応ができないというような事態も新型コロナウイルス感染症では生じたのではないかと思っている。
国際公約が背景にあるのかもしれないが、SDGsに伴う農水省の「みどりの食料システム戦略」を見ているとむしろ農業生産を危うくするのではないかと思われる部分があるのが気になっている。また、政府自身が煽るSDGsに関する言説が農業に関する誤った認識を広げかねないとも感じている。有機農業が慣行農業より上位の概念であるかのような誤解も広めているのだ。 (昆吉則)

農業政策の変遷と農業を巡る政治経済学

アジア成長研究所特別教授
東京大学名誉教授
本間正義

【農業政策は誰が決める?】

農業を巡る環境が変化しつつある。農業に対しては合理的効率化を追求し、コストダウンを通じて世界に対抗しうる構造に変えていかなくてはいけないと言う主張と、一方で、農業は他産業とは異なる価値を持つとし、生態系および環境との調和を求め、市場経済とは一線を画す考え方が相対してきた。
これはそのまま農業政策に反映され、前者は農産物の関税引き下げ・撤廃等を求め、市場開放を推進する政治家を支援し、後者は国境措置の維持だけでなく、各種補助金や農業への参入規制を求め、農業保護に与する政治家を支持する。実際の農業政策はそのせめぎ合いの中で決定されてきた。
しかし、実際には、長い間日本の農業政策は「鉄のトライアングル」と呼ばれる、自民党・農水省・農協の3者により支配されてきた。そのため、市場を無視した米価の値上げが行われ、緊急避難措置だった減反政策は50年以上も続いている。

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