ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

農業と食の安全を脅かす「ポピュリズム」


例えば、北朝鮮の食料自給率は100%に近いが、それは国民の望む十分な食料消費を犠牲にしてのことである。また、日本でも、1960年の食料自給率は79%の高さにあった。しかし、同年の国民1人1日当たり供給熱量は2291キロカロリーに過ぎず、内訳は、米1106、畜産物85、油脂105、小麦251、砂糖157キロカロリーであった。当時の食生活を実践すれば、食料自給率は格段に向上する。そのような形での食料自給率の向上が望ましいものでないのは自明だが、ここに自給率向上政策の落とし穴がある。食料自給率向上を目的化してはならないのだ。
最後に、著名な経済学者シュンペーターの高弟であり、東京大学教授であった東畑精一の言葉を引用しておこう。戦前の食料自給論に対し、東畑は次のように述べている。
「かつて、総力戦を説いたものの間に、食糧の自給自足にのみ不当に大きなウェイトが付されたのは驚くべきことであった。一国の食糧が危機に面する時は、一国の他の全ての経済要因が同時に危機に面せる時である。食糧の不足によって国が危うくなるのではなく、国が危うい時には食糧も不足してくるのである。」(東畑精一「日本農業発展の担い手」『日本農業発達史』9巻、1956年)
東畑は食糧難の時代にも冷静に自給論の本質を見抜いていた。今もその本質は色あせない。ウクライナ危機が世界中に不安を与えている今日こそ、冷静な判断と、真の国益とは何かを改めて議論する必要があろう。

「安全安心」とポピュリズム

食の信頼向上をめざす会代表
東京大学名誉教授
唐木英明

【「安全はタダ」か?】

「空気と水と安全はタダ」と思う日本人が多いという。自然が豊かな日本ではきれいな空気と水はどこにでもあった。よそ者を排除する排他的な地域社会では、プライバシーと引き換えに住民の安全が保たれていた。そんな時代の話だろう。
しかし、ロシアのウクライナ侵略で事態は一変した。核兵器を持つロシアや中国や北朝鮮の軍事的脅威に対抗すべき防衛力を日本は持っているのか? 彼らの良心を信じ、平和憲法を守ってひたすら外交努力を続ければ侵略を止められるのか? 幻想が一気に崩れ、戦国時代の殺し合いが人間の本性であること、国の安全はタダでは得られないことを改めて実感した人も多いだろう。
話を食品に移すと、その安全はタダではなかった。かつては多くの家庭で生鮮食品を自家調理していた。冷蔵庫が普及していないこともあり、食品安全とは腐敗や変質を五感で確認することだった。もちろん「ゼロリスク」の達成は不可能で、毎年多くの食中毒が発生し死者も出ていたのだが、それは避けられない災害として受け入れていた。食品安全は自己責任で守るもので多大な努力と経験を必要とし、決してタダで手に入るものではなかった。

関連記事

powered by weblio