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新・農業経営者ルポ

ブランドの存続危機も美味しさ重視で土耕栽培にこだわり続ける

東は太平洋に面し、東北地方の南の玄関口に位置する福島県いわき市。夏は涼しく、冬は温暖な気候が特徴だ。日照時間は年間2000時間を超え、全国有数の長さを誇る。太陽の光を浴びると、美味しさが増すトマトの栽培には最適な場所だ。この地域で、「親バカトマト」というブランドトマトの生産を行うのが助川農園である。先代・助川正克氏が1969年にスタートさせた。その後継者として「親バカトマト」のブランドを守り、そして飛躍させている人物こそが、助川成光氏だ。後継者育成にも力を入れ、産地振興も図る、その取り組みを追った。 文/永峰英太郎、写真提供/助川農園
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東日本大震災―

2011年3月11日に起きた東日本大震災――。その1カ月後の4月中旬、筆者は助川成光氏のもとを訪ねている。福島第一原子力発電所の事故でもたらされた風評被害で、大きなダメージを受けた福島県いわき市の農家の現状を確かめるためであった。
そこで聞かされたのは、3月下旬の市場価格が「トマト1ケース(4キロ24個)の相場2000~2200円が400円に大暴落した」というものだった。通常であれば、3月下旬は、九州産の収穫時期が終わり市場で品薄になるため、価格は上がっていくはずの時期なのに、である。「トマトは“生り物”だから、毎日赤くなる。それを収穫しないと、次が育たない。1円でもいいからという気持ちで出荷を続けた」と話す表情は、かなり険しいものがあった。
それから1年後、再び、成光氏に会いにいくと、その表情は明るく、一つひとつの言葉は前を向いていた。2011年7月以降、市場価格は戻りつつあったからだ。「まだ通常よりも数百円は安い」と、決して満足している様子ではなかったが、引き締まった顔を見せていた。
同時期に取材をした、いわき市のなめこ農家は「出荷量は通常の2分の1程度で、まったく市場価格は戻らない」と嘆いていた。その両者のあまりの違いに、筆者は驚きを覚えたものだった。

農家7軒で「親バカトマト」

あれから11年が経過した。久しぶりに対面した成光氏に、なぜ早い段階で市場価格を戻すことができたのかについて、改めて質問をしてみた。
「当時は、さまざまな場所で、いわき市産野菜の販売促進キャンペーンが行われました。そのとき、私たちは『土にこだわった親バカトマト』ということを徹底的にアピールしていった。そして、それがお客様の購買意欲を高めることにつながりました。売り上げをより戻すことができたのは、このブランド力のお陰だったと思っています」

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