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新・農業経営者ルポ

ブランドの存続危機も美味しさ重視で土耕栽培にこだわり続ける


成光氏は1年間、親バカトマトの栽培方法を徹底的に伝えていった。
そして、根本氏は22年から研修を続けつつ、実家のハウスで親バカトマトの栽培をスタートさせた。
成光氏は、助川農園のさらなる拡張も視野に入れている。助川農園のエリアは、東日本大震災による津波と地盤沈下の被災を受けてしまったところも多い。そこで市では、復興支援事業で、これらの土地(約56ha)の農地(田圃)整備を進めた。5軒の担い手が選ばれ、その中に助川農園も含まれた。
「今は、約13haの農地を受け持ち、お米を作っています。将来的には、その一部をハウスにして、トマトを育てたいと思っています。根本くんのように補助金でハウスを建てられるのは稀なケースです。研修生がうちのハウスを使って独立したり、あるいは社員になったり……。いろいろな選択肢を設けておきたい」
ここ最近の取り組みとしては、トマトの6次産業化が挙げられる。
「東日本大震災のとき、いわき市のシェフや農家が集まって、商品開発に取り組みました。トマトジュースやトマトピューレ、ソースなどを作りました。今は、その取り組みは小休止した形になっていますが、彼らとの交流は続いています。昨年、3tほどトマトの栽培を失敗してしまったんです。それで、人気の高かったトマトジュースを作りたいと思って、当時の仲間に声をかけたら『任せとけ!』って」
ところで、取材中、成光氏は「仲間」という言葉を何度も口にした。
「東日本大震災後は、補償や流通では農協さんのお世話になったし、同じ年代の農家さんとタッグを組んで、さまざまなイベントにも参加したし、自治体も懸命に動いてくれました。こうした仲間がいたからこそ、前を向けたのは間違いない。コロナ禍で、飲食店は大きな打撃を受けているじゃないですか。うちのトマトが余ったら『このままだと廃棄することになるから、持っていって!』などと声をかけています」
親バカトマトのブランド力向上のための活動や新規就農者育成、さらには地域活性化のための尽力
……。こうした一つひとつの活動は、助川農園自体の知名度アップにもつながった。
「これまでは“親バカトマト”が前面に立ち、その陰に助川農園の名前は隠れていた部分もありました。今、私たちはお米やミニトマトも栽培しています。春の期間だけ使用する稲の育苗ハウスを使って、ブドウ作りもスタートし、今年販売します。イチゴも試験栽培を始めました。助川農園をもっと広く知ってもらうことで、あらゆる部門を成長させていきたいです」

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