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専門家インタビュー

批判するより考え方を示し農業問題の本質に迫る


たとえば、「食料安全保障からみて日本農業は絶対大切だ」と主張するAさんと、「食料安全保障を強調するのは農林水産省のプロパガンダだ」と主張するBさんとは、上手くコミュニケーションをとれないことがあります。しかし、「人口減少によって、食料安全保障上必要な農地が、日本の農地全体よりも少なくなる可能性がある」ということをテーマにすれば、一緒に考えたり、余った農地の使い道を一緒に考えたりしていくことはできるかもしれません。
ほかにも農産物輸出で考えてみましょう。Aさんが「農産物輸出を増やすべき」と主張し、Bさんもまた「農産物輸出を増やすべき」と主張している場合、AさんとBさんは同じ主張のように思えます。でも、もしかすると、Aさんは食料安全保障からみて余った農地で作った農産物を輸出しようと考えていて、Bさんは食料安全保障のために農産物を輸出し、いざとなれば禁輸すればよいと考えているかもしれません。すると、AさんとBさんの主張は、実は随分違うということになります。AさんとBさん、それぞれの農業観・農地観によって、農産物輸出の意味合いは全然違うわけです。
――こういうシチュエーション、農業論議ではよくありますね。
はい。それにもかかわらず、こういった議論をする際に、農業関係者の場合、往々にして、「輸出農産物を増やすべき」といった次元で終わっていることが多いような気がします。たとえば、「有機農産物を増やそう」、「飼料用米はダメな作物だ」といった結論部分を決め付けた主張や、そうした主張を知識として得て、満足してしまうような状態です。
運動論的に仲間を増やすのであれば、目標設定をあいまいにするメリットはあるでしょう。厳密には主張が違う者同士が一緒に声を挙げられますからね。しかし、それではいつまで経っても議論は深まりません。そうではなく、一段踏み込んで、具体的に有機農産物や飼料用米について国民それぞれが、ともにより深く考えていくことがよりよい日本農業の展望につながるのだと『現代日本農業論考』では提唱しています。
――農政問題はとかく戦後の減反政策や農協問題などへの批判に基づいて語られます。そうした論調に対して、小川さんはあまり厳しく批判されていないのはなぜでしょうか?
これも、結論部分を決め付けないという考え方によるものです。政府批判や農協批判は、現在でも重要な指摘です。ここでいう批判とは、何かに反対することはもちろん、特定の主張が絶対正しいのだと決めつける考え方も含みます。 

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