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人生・農業リセット再出発

名誉に生き、尊厳と共に死んだ日系米軍442部隊

1941年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入。国際連盟大使・松岡洋右はハワイ日系人に「日系二世はアメリカ人であり国家に忠誠を誓うべき」と講演し、東条英機首相は「君たちはアメリカ人だ、武士道では主君に忠誠を誓うのが筋、君たちの国に従うべき」と言った。
ハワイ日系人口は40%、16万人、サトウキビ畑仕事しかない時給25セントの生活だった。米政府は日系軍人1,400人を米本土へ移送する一方、カリフォルニア、ワシントン、オレゴン、アリゾナ州の西海岸でアメリカ国籍移民一世と、日本人の血が16分の1以上混じっている日系アメリカ人12万313人を“敵性国民”として砂漠10カ所の強制収容所へ幽閉する。非人道的で憲法違反だと反対意見もあったが、世論は反日に向かった。追い立てられトラックに押し込まれて砂漠の中に高さ4mの有刺鉄線に囲まれた機関銃の見張り塔のある強制収容所に連行された歴史的虐待だった。
日独伊三国同盟は、欧米連合軍を敵に熾烈な戦火を交えた。ヒトラーのドイツ軍はフランスやイタリアに侵攻して勢力を強め、米軍も欧州で苦戦、収容所にも徴兵がかかった。17歳以上の者に忠誠心調査が行われ、「命令を受けたら合衆国軍隊の戦闘任務に服するか? 国に忠誠を誓い攻撃に対して合衆国を忠実に守り、日本国天皇と日本政府への忠節を拒否するか?」。その宣誓書に84%が“Yes”と署名、1,000人の志願兵が名乗り出たが、16%の“No!”と拒否した3,000名は特別収容所に移送された。半年かけても征服できなかったイタリアの山頂にある修道院のドイツ軍陣地からの砲撃で連合軍5万5,000人が戦死した攻防で、日系軍1,000人が戦死半減してもドイツ軍をわずか32分で撃破する奇跡を起こし、「死傷者勲章大隊」と呼ばれる。強制収容所からの勇猛な日系志願兵は『442部隊』として大統領から功績を讃えられた史上唯一の伝説部隊となる。

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