ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

新・農業経営者ルポ

中山間地のデメリットを強みに 淡路島から届ける高品質タマネギ

福島で東日本大震災を経験した齋藤亜紀美は、子どもを連れて実家がある淡路島に戻る。その前年である2010年、家業の建設会社が農業参入を果たすと同時に本格的に始めたのがタマネギの生産だった。やがて教師の夫と同居するなか、家事や子育てとの両立、農業経験ゼロという条件下で、手伝い程度から代表取締役へと至る。安全・安心を掲げ、年間550tの特別栽培品を自社流通で展開する組織へと発展させた。中山間地のデメリットを強みにする逆転の発想に加え、故郷への思いが根底に流れている。 文・写真/筑波君枝、写真提供/(株)池上農場
.

生まれた島の土地を守りたい一心で、実家農場を継ぐ

全国的にもその名が知られる「淡路島たまねぎ」。2010年11月12日には団体商標登録され、地域ブランドとして浸透している。
池上農場がタマネギの生産に本格的に参入したのもこの年だ。齋藤の父は建設会社の池上建設を経営しており、そのかたわらの農業で水稲やミカンなどを手がけていた。タマネギは、長年自家用に栽培していた程度だったが、同年に約2haと拡大した。
当時、兵庫県主導で淡路島たまねぎの収穫量を増やそうと企業の農業参入が推進され、その一つが池上建設だった。秋の定植で、収穫は翌年6月ごろになる。年度初めで公共工事が少ない暇な時期に当たることや、建設業の重機を使うことで省力化もできる点などを考慮した参入だったという。
その最初の収穫を控えた2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
齋藤は結婚して淡路島を離れ、夫が教師を勤める福島県会津若松市で専業主婦をこなしていた。そんな折の震災に、当時1歳の長女と避難する形で実家に身を寄せることになった。福島第一原子力発電所の事故の影響が不透明だったうえに、齋藤自身が中学2年生のときに阪神淡路大震災を経験していたことで、震災後の物資不足も予想されたためだ。乳児を抱えて不安な気持ちで過ごすより、しばらく福島を離れたほうがよいと判断した。
帰郷後、空いた時間でタマネギの作業を手伝っていた。それから2年後、夫が兵庫県の教員採用試験に合格して転籍してきたこともあり、齋藤はそのまま池上農場で働いた。順調に作付面積を伸ばしながら生産量を増やし、2019年に冷蔵貯蔵施設の建設を機に、父に代わって池上農場の代表取締役に就任した。

関連記事

powered by weblio