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知っておきたい 世界各国の産業用ヘンプ

フィンランド 世界初の油糧用品種の育種・普及で貢献

フィンランド共和国はスウェーデン、ノルウェー、ロシアと国境を接する北欧の国である。首都ヘルシンキは北緯60度に位置し、 国土面積は日本の約9割だが、その4分の1が北極圏に属する。人口は約551万人。全体的に平坦な地形で、その約7割が森林で覆われており、製紙・パルプ・木材産業が盛んな林業国だ。冷涼な気候で農業生産性は低く、農用地は少なく、農業の中心は酪農である。
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ヘンプ栽培の拡大と衰退の歴史

フィンランドでは、最初に農業集落が開拓された西暦500~700年頃にヘンプ栽培も導入されたと考えられている。考古学では、バイキング時代(800~1050年)にヘンプの種子が発見されたオーランド諸島(フィンランドとスウェーデンの間の大きな島)が最も古い栽培地である。一方、花粉研究からは、15~16世紀に中南部地域で一般的な作物として栽培されていたと推測されている。
ロシア帝国の統治下にあったフィンランド大公国時代(1809~1917年)の統計によると、ヘンプは亜麻と合わせて6000haで栽培され、衣服、テーブルクロス、タオル、作業布、漁網、帆船の帆布などに利用されていた。特にヘンプ製ロープは、タールを塗ると耐水性が高まり、湿気の多い場所や濡れた場所に適していたため、帆船の時代に重宝された。1818年に最初の製紙工場がテルバコスキという町にできた頃は、使い捨てられた亜麻やヘンプのボロ布からパルプが作られていた。1860年代以降、木材パルプも作られるようになったが、ボロ布パルプのほうが良質で、より薄くより強い紙が得られたため、第二次世界大戦まで使われ続けた。
1917年に独立国となった頃にはヘンプから亜麻に生産の中心が移り、第二次世界大戦後の1950年代には亜麻もヘンプも作られなくなった。ヘンプ衰退の原因は、木材産業の台頭と、繊維原料が安価な輸入綿に代替されたことだった。なお、1961年麻薬単一条約制定後も同国では、西側の欧州諸国のような栽培禁止にはならなかった。

油糧作物という価値をヘンプに創出した功績

同国がヘンプ産業に貢献しているのは、育種分野である。クオピオ大学(現・東フィンランド大学)薬学部のJ・C・キャラウェイ教授は、ヘンプシードの栄養価の高さに着目し、食用に適した品種を開発することが農作物として普及するために不可欠だと考えた。そこで95年に、ロシアのサンクトペテルブルクにあるバビロフ植物産業研究所(VIR)(本誌19年4月号参照)から早生品種「VIR-313」と「VIR-315」を取り寄せ、交配させ、新品種を育成した。開発コード「FIN-314」と名付けられた同品種は、カナダがヘンプ栽培を解禁した98年に初めて登録が認められた。

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