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新・農業経営者ルポ

すべては地域のために。地域と人をつなぎ続ける農業経営


豊かな清流に恵まれ、昔から稲作が盛んな農業地帯だったが、1戸当たりの耕作面積が平均30aと小さいのがネックだった。生産者のほとんどが第二種兼業農家で、高齢化や後継者不足が大きな課題だった。また、他人の私有地を通らないと所有している農地を使えない、町道にすら出られないなど、昔ながらの耕地がそのまま引き継がれてきたことでの悩みも多かった。
1997年から集落の今後の発展のための話し合いを重ね、圃場整備に取り組んだ。二つの集落が一緒になり、2002年4月、82名の組合員で、のべ面積40haの農地を管理するささ営農組合が立ち上がった。スローガンは「みんな仲良く地域と共にたちゆく組織」。農業を核にして地域を維持しながら、収益の上がる経営を目指した組合だった。
八木はこのとき52歳。会社勤めをしながらの兼業農家で、当初は組織化に関わるつもりはなかった。しかし、生産者の主力は60代、70代で、圃場整備に積極的ではなく、なかなか話が進まないため、やむを得ず自身が先頭に立って組織づくりしていった。
「圃場整備は農地の整備ではなく、地域の整備だと話を進めていきました。圃場を整備し、道路を通せば、これまでは使いにくかった土地も利用できるようになると説明したことで、皆、賛成してくれました」
八木はそのまま代表に就任し、会社員と農業に加え、組合の代表という三足の草鞋を履くこととなる。休日は組合のために時間を費やし、盆も正月もなく働いたという。
営農組合は所有者に地代を払い、育苗から出荷までのすべての生産を行う二集落一農場方式を取り入れた。地代は整備区域内は1俵相当分に、区域外はその80%相当分とした。組合員は放棄田を1枚も作らないことを条件に、草刈りや掃除など農地の保守管理を全世帯で行うことで合意した。所有者が営農しないことで、気持ちが農業から離れてしまわないようにするためだった。農業への無関心は、地域への無関心にもつながる。農業を発展させ、地域と人をつなぎ続ける。それが圃場整備への思いだった。

兵庫県内では初。全国でも6例目の農業法人の株式会社に

営農組合となり、最初の1、2年こそ組合員にもやる気があったが、3年4年と経過するに従い、だんだんと人を集めることが難しくなっていった。親が亡くなり遠方に住む子どもが相続したことで、農地所有者が地元にいないといったケースも出てきた。
こんな状況で営農組合が守れるのだろうか。5年先、10年先にも地域を維持できるのだろうか。そう考えていたころに、法人化を勧められた。ちょうど新会社法が施行し、それまでは資本金1000万円が必要だった株式会社の設立が、1円からでもできることになった時期だった。

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