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特集

大麻取締法の75年ぶりの大幅な改正でどうなる?! 日本の産業用ヘンプ 後編

1948年に施行されたわが国の大麻取締法が大幅な改正という潮目を迎えようとしている。 かつては日本でも幅広く生産されてきた麻を守るための法律だったはずが、薬物規制の厳格化によって近年は麻栽培の現場に厳しい制限が課せられていたようだ。11月号では法改正に至るまでの概要をPart1でお伝えした。特集後編では、日本一の麻農家、北海道でヘンプ栽培の復活を目指してきた人たち、三重県で国産麻の価値を見直し復活に動き出した人たち、育種分野から新たにヘンプに注目している研究者――いずれも国内でのヘンプ合法化に期待を寄せる人たちに話を聞いた。 (企画・まとめ 赤星栄志・加藤祐子)

Part2 麻農家は誇りと持って生産を継続したい

大森由久氏(おおもりよしひさ)
伝統的な野洲麻の産地で、国産麻生産を守り続けてきた麻農家の7代目。精麻・麻幹の直販を手がける(株)野州麻の代表取締役。2012年4月に「日本麻振興会」を立ち上げ、19年の法人化に伴い、代表理事に就任。

【4年振りのフェスティバル開催】

大麻(あさ、以下「麻」と表記)は、アサ科アサ属の一年草のこと。栽培の起源は1万2000年前の中央アジアとされ、日本では縄文時代の貝塚から麻の実が見つかるなど古くから身近にあり、気候的に日本中で栽培が可能な植物である。私は江戸時代から続く麻農家の7代目で、8代目の息子、大森芳紀とともに麻の栽培と精麻づくりを生業にしてきた(図1)。
折しも私が生まれたのは1948年、大麻取締法が施行されたその年である。21歳で実家に就農した。父の代まではコメ・こんにゃく・ソバ・麻の複合経営だったが、2001年に大雹害を受けてすべての作物が全滅。その苦難をきっかけに経営転換を図り、麻専業になった。さらに問屋への出荷をやめ、神社をはじめ企業や個人のお客様に直接販売する体制を整えてきた。現在、個人農家として麻の栽培から精麻への加工までの生産部門を担い、仕入れ・販売部門である(株)野洲麻の社長を務める。万が一収穫できない事態に備えて、1年分のストックを抱えて、安定した品質、安定した出荷体制を整えている。
去る22年10月29日、30日に4年振りに「第9回日本麻フェスティバルin 鹿沼」を開催した。日本麻振興協会の主催で、麻を使ってくださる方々にはその取り組みを紹介いただき、麻を通じてつながっているさまざまな方々に鹿沼へお越しいただいた。新しい取り組みとして、敷地内に建てたヘンプクリートハウス(図2)をお披露目した。伝統的な精麻もさることながら、ヨーロッパでは実用化が進む建材としての活用事例をご紹介できたように思う。初日の夕方に麻炭を使った花火を(株)田熊火工さんに上げていただき、ご参加いただいた皆様と感動を分かち合えたことも嬉しかった。国産麻を応援してくださる方々のネットワークには日々感謝申し上げる次第である。

【戦後、国産麻の需要は高品質な精麻に】

戦前には栃木以外にも麻の産地は全国にあった。だが、戦後、GHQの指令により麻の栽培は規制対象となり、大麻取締法施行後に大幅に減少した。現行法では、大麻の栽培目的は「地域の伝統文化の継承に資するもの」に限定され、栽培から繊維および趣旨の採取に至るまでの一連の工程を大麻栽培者自らが行なうものに規定されている。その結果、神事など伝統的な限られた用途に用いられる精麻の需要だけが生き残った。

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