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特集

立ち上がれ、若きイノベーターたちよ



【稲作部門だけが停滞】

今、見渡せば、確かに、需要側を巻き込み、農業経営者の主導により、突出した優れた経営を展開している「持続的農業経営体」も生まれているのは事実です。これを部門ごとに概観すると、稲作部門以外と言ってよいのではないでしょうか。何故稲作部門では「本物」が生まれないのか。「本物」の二つ目の視点(持続的農業経営体であるかどうか)で見てみましょう。
人、農地、技術に自然の力を加え、農産物(コメ)を生産する点で見ると、かつてに比べ、格段と進歩していることは間違いありません。ただ、稲作部門にコメを自らの創意・工夫により、企画、加工、販売、マネジメントする総合力を発揮している経営体がどれほどいるか。確かに、面積規模を驚異的に拡大している経営体は珍しい存在ではなくなっています。
では、需要側のニーズにも価格変動にも盤石で、持続的に収益を上げる本物の経営体になっているかというと疑問です。何かというと、政治に圧力をかけ、対策を講じさせるのが、稲作部門の体質のようになっています。終戦後80年近く経った今の時代、戦前、戦後の食糧難の時代の「主食」であるコメに講じられていた制度、施策は、はるか彼方のことになっていますが、小生から見ると、その時代に刷り込まれたDNAは、今この現代にも受け継がれているとしか思えません。
戦後しばらくは一人当たりにして今の3倍ほど食べていた主食たるコメを、国民に公正、平等に、低価格で供給するため、需給も価格も国が完全にコントロールする食糧管理制度を作りました。生産されたコメを全量集めるため、全国津々浦々に張り巡らされている農業協同組合制度を使い、その大前提として農地解放を行って600万ほどの自作農を生み出し、農地は耕作者自らが保有するのが最善とする農地制度を作ったのです。これらの制度、仕組み(トライアングル)は大変良く機能し、戦後の食糧難を乗り切るのに大きく貢献しました。
その後の経済社会の変化に伴う食生活の激変により、コメ、稲作農家の過剰、農地の資産的保有意識の高まりによる流動化の遅れなどに対応できず、コメ、稲作の日本農業における位置付けは低下していったのです。コメは今でもほぼ100%自給できる、国民にとって大事な食料です。だから「守る」のではなく、上述したコメを巡る大変化に対応する中で、稲作部門における本物の経営体が生まれるようにしなければならないのです。

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