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江刺の稲

高齢感染者の至れり尽くせり

  • 『農業経営者』編集長 農業技術通信社 代表取締役社長 昆吉則
  • 第320回 2023年03月02日

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本誌がまだ隔月刊だったころの36号の「農業経営者ルポ」を読み返した。「自分の目の中に灯台と顕微鏡を持て」と題して紹介したのは、北海道栗山町の勝部征矢氏と先代の徳太郎氏である。
勝部農場の現当主は徳太郎氏の孫である佳文氏が引き継いでおり、現在の経営規模は200haに達する。全面積に小麦が栽培され、50年以上も連作されている。しかも、大規模経営でありながら、空知エリア内で突出した平均収量レベルを維持している。
ここで注目すべきは、徳太郎氏、征矢氏、そして佳文氏の三代にわたる稀有な農業イノベーターとしての存在である。
徳太郎氏の時代の経営面積は、当時の多くの北海道農家と同じ2.5haだった。終戦直後、日本が食糧難にあえいでいたさなかに大規模にイチゴを作り、大きく当てた。しかし、23年、24年ごろには儲かっているイチゴをやめてしまう。「兵隊が復員してくれば勝部農場を真似してイチゴ作りを始める者が出てくるだろう」という理由だ。
次に始めたのはダリアの生産だった。人々は暮らしが安定するにつれて庭に目をやる余裕が出てくる。それまで芋を植えていた庭に花を植えるようになると考えた。しかも、ダリアなら切り花で集荷して球根も売れる。一つの作物で二度の商売ができる。その後も勝部農場は様々な作物で成功する。

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