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小川まさゆきの現代の農業観・農地観

お米クリエイター 佐藤裕貴 Uターン就農からアート×ファッション×音楽×農業へ

今を生きる 一人ひとりの「農業の捉え方」を聞く! 農業の最大の魅力は、定義が決まっていないことだ。 価値観の多様化が進む現在は、この魅力がいかんなく発揮され、多様な農業観・農地観が生まれ育まれる時代にある。いまや、農業観・農地観は、農業を営む上での一つの原動力となっているのではないだろうか。 本連載では、農業経営者の心のうちにある「農業の捉え方」に注目しながら、数字では語れない、農業経営の特徴に迫る。
お米クリエイター
佐藤 裕貴さん
(44)

1978年宮城県角田市小田生まれ。専門学校・短大を卒業後、上京してアパレル・雑貨業界に就職。独立して雑貨店を営むも、2009年に帰郷。東日本大震災後、本格的に就農し、16年に父から経営移譲。経営規模は水稲38ha、麦大豆4ha(すべて田)。水稲は主食用米、飼料用米、酒米で21品種を生産し、レストラン、病院、介護施設、社員食堂などと直接契約している。消費者向けの直販や雇用を検討中。年間売上は約5,500万円。

宮城県南部に広がる角田盆地は古くから阿武隈川や、その支川の豊かな自然が広がる地域である。かつて、角田城の殿様は、大地主で農家二代目の佐藤源三郎と互いに治水について毎日のように相談したという。この佐藤源三郎から数えて四代後が、佐藤裕貴さんだ。代々続く米農家の末っ子長男として生まれたものの、農業には興味がなく、好きな雑貨や洋服に携わる仕事がしたいと地元を飛び出した。Uターン就農して自分ならではのスタイルで農業をおしゃれに発信し続けている佐藤さんが、どのように現在に至ったのか、農業や農地への想いの変遷を尋ねた。

「東京だからスゴイ!」というわけではない

―農家に生まれて、農業とはどう関わっていましたか?
僕には姉が二人いて、代々続く米農家の待望の長男として生まれました。ただ、小さい頃から、汚れることが大嫌い! 水たまりすら避けて歩くような少年でした(笑)。転んだりして肌に傷がつくのも、失神しそうになるほど嫌だったので、農業の手伝いは、せいぜい納屋での荷物運びくらいしかやらなかったですし、農家を継ぐ気はなかったですね。
―興味を持った分野は?
興味の対象はその頃から洋服や雑貨、アンティークでした。進学校の高校を卒業する頃に、自分のやりたいことを上手く描けず、仙台にある経営学の課程を2年で学べる短大と専門学校を併学することにしました。
行動範囲が広がり、仙台で洋服を買うようになると、その洋服がどう生み出されているのか、に関心は移りました。仙台でもおしゃれな服は売られていますが、実際の文化の発信地は東京でした。出処を確かめたいと、実家から出ることを許されなかった状況に反発して東京に飛び出して、自由が丘の輸入雑貨店、原宿のアパレルブランド店で働きました。

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