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小川まさゆきの現代の農業観・農地観

お米クリエイター 佐藤裕貴 Uターン就農からアート×ファッション×音楽×農業へ


その後、ゴミ収集で貯めたお金で独立して、雑貨店を営む夢も叶いました。ただ、しばらくすると、東京に飽きたのか、何かつまらなくなってきたんです。
―東京に出て気づいたことは?
「東京」という魅力に惹かれて「何か」を確かめに来ましたが、人々の動向を追いかけていてはダメだなと感じました。なんのために、誰のためにどうしたいのか。どんな事ができるのか。その一番大切な部分は、自分自身からしか生まれないということです。どんな気持ちで、誰が作っているのかに、場所は関係ないですもんね。それがわかったときに決して「東京だからすごい!」というわけではないことに気づいたんです。

雑貨店経営も、農業経営も勝負できるところは同じ

―地元・角田へUターンすることになったきっかけは?
2009年10月に祖母が他界しました。実家は両親だけになってしまったので、勝手に東京に飛び出した負い目もあり、長男としては帰らなくちゃいけないかなと。それで、その年の12月に32歳でUターンしました。雑貨の在庫保管スペースを含む店舗と自宅の家賃に、毎月50万円ほど払っていたので、実家を倉庫に使えば雑貨の保管費の分が手元に残るという下心もありました。
その時点でも農業をする気はありませんでした。それでも、帰郷してすぐの正月に草刈機を1台買ってもらったこと、3月に通っていた小学校が廃校になったこと、そして、1年後の11年3月の東日本大震災―心を揺さぶられることが続きました。
―就農のきっかけもその辺りにあったのでしょうか?
そうですね。草刈機にしても、使い方が当然わかりません。草刈りが上手いと評判の方に教わって、使い方を覚えました。そのうちに近所の方から「裕貴ちゃんは上手いから、うちのも刈ってくれ」なんて褒められて、任されるように。さらに「じゃあ、裕貴ちゃん、うちの田んぼもやってくれないか」と言ってもらえるようになっていくわけです。農業をやるために帰ってきたわけじゃないのに……と思いつつ、子どもの頃にお世話になった地域の方から頼りにされるのが嬉しかったですね。
1年目は、父親と田んぼを回るついでに、どこが誰の田んぼか、紙に書いて覚えるようにしました。僕にとっては普通にやっていることでも、周囲から「田んぼ覚えるの、大変でしょう」と話しかけられたときに、メモして覚えたと話すと「へぇー」と驚かれる。農業ではこういうところから認められていくんだと思いました。

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