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小川まさゆきの現代の農業観・農地観

お米クリエイター 佐藤裕貴 Uターン就農からアート×ファッション×音楽×農業へ


―地元に戻ってから、地域への思いも変わりましたか?
母校が廃校になったのはショックでした。小学校の登下校時に近所の人たちに「お菓子持っていくかい、お茶飲んでいくかい」と誘われる子供だったので、通学路にも思い入れがありました。東京にいた頃、少子高齢化のニュースはちらっと聞く程度でした。まさか、地元がそうなっているとは知らなくて、それが悔しくて……。それで、どうにか地域を盛り上げられないかと思うようになりました。
―そして、東日本大震災ですね。
震災の時は物流が止まり、スーパーには食べ物を求める人たちが長蛇の列をつくりました。その時に「うちは米があるし、並ぶことないな」と実感したんですよ。「あれ!? 農業って、食べ物を生み出す仕事って、もしかしてすごい仕事なんじゃないか」「種を播くことで食べ物を作ることができるって、最高のアートだ!!」と。自分のビジョンやプロジェクトを具現化する過程にも通じるものがあるなと感じました。
仕事も失う、家も失う、家族を失っても、「生きていくのに何が必要ですか」と聞かれたら、「いや、まず食べることでしょう」と答える。今後の人生をどうしようかといろいろ考えていた時期でしたから、農業をやろうと決断したら、足に根っこが生えてきたような感覚がビクビクと全身を駆け巡ったのを今でも覚えています。
―どちらかというと、農業を毛嫌いしていたのでは?
末っ子長男ということで、いつかは家を継がなければという思いはありました。ただ、近隣に大きな農家さんが2軒あったので、そこに任せれば何とかなるという考えを持っていました。そこから、だいぶ変わりました。
たとえば、ビームスというアパレルブランドで働いていたときには、「ビームスの佐藤」と自己紹介しますし、そう呼ばれます。そのうちに経験や知識が増えると、「ビームス」の肩書きが付かなくても自分自身で勝負できると思えるようになる。「佐藤さんが選んだ雑貨がいい!」と言われたい。誰かにぶら下がるのではなく、自分が発信するものを大事にしたいという思いは膨らんでいました。農業は自分の手で一から育てたもので勝負できることに魅力を感じました。
―農地を意識するようになったのもその頃でしょうか?
地に足をつけて農業をやると決めてから、ようやく農地への関心も生まれました。
僕が暮らしている小田地区は阿武隈川の上流域で、角田の市街地を守るために3つの堤防で水を堰き止めている場所にあります。でも、このあたりは排水対策の改善が進んでおらず、22年の台風19号は夜間に150ミリ程度の雨が降り、角田市内でも小田地区だけが70ha水没しました。未だに水害に悩まされている地区なんです。

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