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「皆で力を合わせて、組合の売上を上げていきましょう」
食事会で酒の勢いもあり、こう訴えたのだ。しかし、反応は冷ややかだった。部会の中心は50~60代で、今さら新しいことをやりたくないという気持ちが透けて見えるようだったという。業を煮やした役員から「いい加減にしろ」と怒鳴られ、気持ちが爆発した。
「だったら、こんな組合、辞めてやる!」
偽りのない本音だった。役員からは「辞められるものなら辞めてみろ。その代わり、戻る場所はないぞ」と言い返され、絶対に成功してやると悔しい思いを抱え、佐野は家路に就いた。帰宅後、父に話すと理解してくれ、農協に正式に脱退届を出してくれたという。このときのことを思い出すと今でも涙がこぼれると、実際に涙を流しながら語ってくれた。
売れない…… でもイチゴは赤くなる
組合を辞めたものの、売る当てはなかった。以前と同じように栽培していたため、収穫が始まれば約10万パックのイチゴが生産される。それだけのイチゴをいったいどう売ればいいのか。
まずは拠点として直売所を作りたかった。もともと納屋だった場所を改装しようと考えたが、資金がない。借金は怖くてできずに迷っていると、見かねた母が老後の資金として貯めていた定期預金を解約し、提供してくれた。その気持ちをありがたく受け取り、「必ず返すから」と約束して改装の資金とした。
一方で知人からチェーンスーパー2社を紹介され、価格交渉権のある販売も決まった。完熟イチゴを販売することで、卸価格は市場価格より1パック当たり50円高く設定し、「売れ行きが好調なら店舗数も増やす」と言われ、ほっとひと息つくことができた。
直売所のオープンは2008年12月12日と決め、チラシを2000枚作り、思いつく限りのところに配った。地方紙に広告も出した。
「これだけ宣伝したのだから、お客さんは来てくれるものと思っていました。駐車場が足りなくなるのではないかと心配したほどです」
ところがふたを開けてみると、客は来なかった。初日は2~3名。その後も似たような状況だった。スーパーの売れ行きも芳しくなく、追加注文もなかなか来ない。価格交渉ができるということは、裏を返せば売れなければ注文は来ないということだ。おいしい完熟イチゴなら売れるはず、と思っていた自分の甘さを突きつけられた。
「どうしよう、どうしようと毎日不安でした。売れなくても、イチゴはどんどん赤くなっていきます。朝起きて、ああ、またイチゴが赤くなっていると思うと、ハウスに行くのも嫌でした。クリスマス前の最も売れる時期に、こんな気持ちになるなんて、自分の選択が正しかったのかと何度も自問しました」
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佐野真史 サノマサフミ
富丘佐野農園(株)
代表取締役
1975年、静岡県富士宮市生まれ。子どものころから剣道に没頭し、高校時代は国体に出場するほどの剣士だった。静岡県立農林短期大学校(現・同農林環境専門職大学/同農林環境専門職大学短期大学部)を卒業後、21歳で親元就農、26歳で結婚。2008年、直売所「れっどぱーる」オープン。2015年、富丘佐野農園(株)として法人化した。
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