ナビゲーションを飛ばす



記事閲覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加はてな
  • mixiチェック

特集

政府・自治体広報の危うさをファクトチェック


その結果、当然のことながら多くの人は自分が今日明日にでも感染して死ぬという恐怖に駆られ、マスク着用はもちろん、外出や営業の自粛は当たり前と信じた。こうして大多数の国民が個人対策に協力した。かつてのBSE全頭検査神話成立の経緯を想起させる政府、専門家、メディアの見事な連携だった。
しかし、私はこれをあってはならない世論操作と考える。国民に強い恐怖感を持たせることは危険回避の本能を刺激することだ。すると、感染防止が最重要になり、社会経済的な混乱は目に入らないという偏った心理状態に陥る。こうして柔軟な思考ができなくなり、外出自粛やマスク着用が自分を守ると誤解し、守らない人を非難した。マスクは売り切れ、争奪戦が始まった。それだけでなく感染者やその治療に当たる医師、看護師、そして家族まで差別した。すべて恐怖が作り出した自己保存のための異常行動である。
同じ手法で毎年約3千人の死者と40万人の負傷者を出している自動車事故の恐怖を連日煽り続ければ、自動車反対運動は一気に拡大するだろう。多くのリスクの中から一つだけを取り出して不安と恐怖を煽る手法は冷静な議論を不可能にして、リスク最適化、すなわち感染対策と社会経済対策の両立を不可能にする。政府と専門家はそんな事態を引き起こしてしまったのだ。
感染防止を個人対策に任せることにはもう一つの重大な意味があった。各地の人流増減マップなるものを毎日発表し、街に出かけたら感染が増える、感染が増えたのは個人の無責任な行動のためと脅したのだ。こうして感染拡大の原因は政府や専門家の対策の失敗ではなく、国民の努力不足に帰せられ、国民もそう信じた。
実は政府は早くから5類に変更するなどの対策緩和を考えたのだが、その結果、感染者が増加すれば内閣支持率が低下することを懸念して先延ばしになった。政府の世論操作が自身に跳ね返った結果といえる。
メディアの役割は権力の監視だが、残念ながらその多くが専門家と政府の生命尊重の「正論」を無批判に受け入れて恐怖の拡散に積極的に協力した。野党もまた実現不可能なゼロコロナ政策を提言し、オリンピック開催に反対するなど人気取り政策に専念した。こうしてリスク管理の原則であるリスク最適化は忘れられ、対策の費用対効果の検討は無視され、これに対する反対の声はほとんど聞こえなかった。
ようやく最近になって対策が緩和され、専門家によるTVキャンペーンが少なくなったが、私の周囲では依然として恐怖感と同調圧力が強く、9割以上がマスク着用を続けている。

関連記事

powered by weblio