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【知っておきたい 世界各国の産業用ヘンプ】
セルビア 歴史あるヘンプ産地はEU非加盟国のハンディを乗り越えられるか
- NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク 理事 赤星栄志
- 第66回 2023年05月30日
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北海道内陸部とよく似た気候で寒暖の差が大きく、北部のドナウ川、サバ川流域には広大な平原が広がっている。麦類、トウモロコシ、ビートなどの作物のほか、酪農も盛んである。日本の武道やアニメのファンも多く、親日国としても知られている。
セルビアでは、ヘンプは伝統的な農作物の一つである。12世紀のネマニッチ王朝時代に修道士が描いたフレスコ絵画やメモによってヘンプ栽培の証拠が多数残されている。
セルビアは15世紀から400年近くにわたってオスマン帝国の支配下にあり、16世紀にかけてトルコ人によってヘンプ栽培が課税対象にもなった。17世紀後半の大トルコ戦争を経て、北部のヴォイヴォディナ州はハプスブルク帝国に征服され、多くのセルビア人はハンガリーに逃れた。
同帝国のハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアが1765年に高品質のヘンプのみを播種するように勧告したことを受けて、帝国会議は同州にドイツからヘンプの栽培と加工技術を有する入植者を呼び寄せた。なかでもオジャツィ(Odz’aci)地区は、栄養豊富な肥沃な土壌と、ドナウ川の支流であるモストノガ川のおかげで良質なヘンプ産地となった(図2)。
ヘンプの首都・オジャツィ
セルビアでは、ヘンプは伝統的な農作物の一つである。12世紀のネマニッチ王朝時代に修道士が描いたフレスコ絵画やメモによってヘンプ栽培の証拠が多数残されている。
セルビアは15世紀から400年近くにわたってオスマン帝国の支配下にあり、16世紀にかけてトルコ人によってヘンプ栽培が課税対象にもなった。17世紀後半の大トルコ戦争を経て、北部のヴォイヴォディナ州はハプスブルク帝国に征服され、多くのセルビア人はハンガリーに逃れた。
同帝国のハプスブルク帝国の女帝マリア・テレジアが1765年に高品質のヘンプのみを播種するように勧告したことを受けて、帝国会議は同州にドイツからヘンプの栽培と加工技術を有する入植者を呼び寄せた。なかでもオジャツィ(Odz’aci)地区は、栄養豊富な肥沃な土壌と、ドナウ川の支流であるモストノガ川のおかげで良質なヘンプ産地となった(図2)。
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赤星栄志 アカホシヨシユキ
NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク
理事
1974(昭和49)年、滋賀県生まれ。日本大学農獣医学部卒。同大学院より博士(環境科学)取得。学生時代から環境・農業・NGOをキーワードに活動を始め、農業法人スタッフ、システムエンジニアを経て様々なバイオマス(生物資源)の研究開発事業に従事。現在、NPO法人ヘンプ製品普及協会理事、日本大学大学院総合科学研究所研究員など。主な著書に、『ヘンプ読本』(2006年 築地書館)、『大麻草解体新書』(2011年 明窓出版)など。 【WEBサイト:麻類作物研究センター】http://www.hemp-revo.net
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