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人生・農業リセット再出発

難破船漂流・シベリア横断6,000km、10年後に奇跡の帰国

日本青年会議所「海外青年の船」講師として乗船した縁で、三重県鈴鹿市JCへ講演に行ったときの話になる。江戸時代に遭難船でアラスカの孤島まで漂流して10年後にロシアから帰国した男が地元にいた話題になり、持ち帰った遺品が白子小学校公民館に展示してあると聞く。
200年前の毛筆日記やロシア女帝からもらったメダルと対面し、過酷な漂流の史実に感動する。
大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)を頭とする17名の船乗りが明治維新85年前の1783年1月、伊勢から江戸へ御用米を帆船「神昌丸」で運ぶ途中、静岡沖で大嵐に遭って舵も帆も折れて漂流すること7カ月半! アリューシャンの小島で飢えと氷点下の寒さで次々と死んでいった。島には原住民と毛皮商人のロシア人数人がおり、食料に窮しながら4年も生活する。数年ぶりの迎えのロシア船が目の前で大破し、日本へ帰国する夢が消える。流木を集めて島を脱出する帆かけ船を手造りし、氷結した海が溶けると36日かけてカムチャッカ半島に航海し、さらにシベリア大陸東端の港町オホーツクへ1カ月かけて渡る。バイカル湖畔都市イルクーツクへ死と隣り合わせの氷点下50度の吹雪の中をソリで5カ月かけて移動、凍傷で片足が腐ってノコギリで切断した1人は、看護のロシア娘と結婚してキリスト教に改宗する。切支丹(キリシタン)や異国からの帰還者は死罪になる鎖国・江戸時代だ。

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