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就農は秋田県立農業短期大学(現・県立大)を卒業した1982年。20歳の若者が夢見たのは、農業で日本一になることだった。農業高校時代に出場した農業鑑定競技ではわずか1点差で敗れ、日本一の座を逃した悔しさと「自分でももうちょっと頑張れば、日本一になれる!」という自信を胸に、農業に飛び込んだ。地元で農業に就いた同級生はほとんどいなかったが、だからこそチャンスがある。誰もやりたくない仕事だからこそ、工夫しながら楽しく生きていける。なにより農業はおもしろそうだ。おもしろい農業をして、日本一になる! そう決めた。
注:野菜ランドのしろ 野菜テキスト ネギの巻
農作物を工場のように作りたいと選んだ軟弱野菜
では、どういう農業を目指すか。能代市近辺では、水稲と野菜の複合経営が典型的なスタイルだった。その経営をするためには、ある程度の水田の規模が必要だが、現代のように黙っていても「田んぼを借りてくれ」といわれる時代ではなく、規模拡大は難しかった。一方、畑ならパイロット事業で切り開いた広大な農地があり、増やすのはそれほど難しくないと考えた。
そして大塚にはあるアイデアがあった。それは軟弱野菜の周年栽培だった。
「学生時代にたまたま手にした雑誌で、都会ではホウレンソウやコマツナ、シュンギクといった軟弱野菜の栽培が盛んと読んだんです。毎日種を播き、収穫する農業が都市部周辺で行なわれ、高収益で頑張っている農家がいると書かれていました。野菜栽培というとキュウリやトマトがメジャーで、葉物野菜はマイナーなイメージしかありませんでしたが、それを読み、こういうのもおもしろいなと。農作物を工場のように生産し、日本一になりたいと目標を立てていましたので、これならできるかもしれない。雪国・秋田で軟弱野菜を周年栽培しようと思いました」
だが、ここで難関が立ちはだかる。
「オヤジですよ。顔は似ているんですが、考え方もやり方も全く違う。これが大変で、ことあるごとにぶつかっていました」
父はコメのほかに、ネギやトマト、キュウリ、メロンなどを栽培しており、「俺の言う通りにやっていればいいんだ」と大塚の話に耳を貸そうとしなかったそうだ。
その父をなんとか説き伏せ、ビニールハウスを1棟借り、ネギやトマト、キュウリの合間に、ホウレンソウの栽培を始めた。最初の年は栽培しながらいろいろな農家を見学し、土づくりなどを教えてもらい、技術を取得した。
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大塚和浩 オオツカカズヒロ
(有)大和農園
代表取締役
1961年、秋田県能代市生まれ。1982年、秋田県立農業短期大学を卒業後就農。1991年、秋田県初の野菜専門の農業法人として大和農園を設立し、代表取締役社長に就任。同年、全国農業コンクールで農林水産大臣賞を受賞。1993年、秋田県経営農業士に認定される。2000年、産直ハウス「ねぎっこ村」を設立し、2006年に法人化する。2019年、大日本農会 農事功績者表彰緑白綬有功章受章。現在は秋田県農業法人協会顧問(元会長)、JAあきた白神ねぎ部会部会長、秋田県農業士連絡協議会会長、能代南地区商店会会長などを務める。
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