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新・農業経営者ルポ

雪国・秋田で挑み続ける野菜の周年栽培と周年出荷


「とはいえ、まさかこんなきっかけで法人化するとは、思っていませんでしたが(笑)」
まだ農業法人が少なく、野菜専門の農業法人となると県内に例がない時代。法人をどう作っていいかもわからず、行政や農業委員会に聞きに行っても「そんなの知らない」と言われるほど情報がなかったそうだ。独自に調べ、苦労しながら秋田県初の野菜専門の農業法人として、1991年4月、(有)大和農園を設立した。
法人化してハウスを拡大する一方、露地栽培にも力を注いだ。ネギの機械栽培体系を整備し、大規模化に取り組んだ。こうした経営によって若き農業経営者として注目を浴び、同年には全国農業コンクールで農林水産大臣賞も受賞した。

誰のための何のための農業かを問い直し、直売所を開く

農業者として、また経営者としても評価され、これからもますます頑張るぞ!と思っていた矢先、この年、平成3年台風19号が日本列島を襲い、東北地方に甚大な被害をもたらした。のちに「りんご台風」と呼ばれる台風である。大和農園も全ハウスが全壊し、ネギなどが飛ばされる被害を受けた。
復旧作業に追われながら、大塚は自然の猛威の前では、人間は無力であることを思い知らされた。自然に逆らって生きてはいけない、とりわけ農業は自然の恩恵で成り立つ産業で、自然に生かされている。それを多くの人に伝える義務が農業者にはある。そんなことを考えるようになったという。
数年かけてハウスを建て直し、ネギの栽培面積を増やし、1999年には4haにまで広がった。野菜の価格は景気によって上がったり下がったりしていたが、あるときからネギの価格がガタンと下がり、赤字経営に陥ってしまったという。原因は中国から大量のネギが輸入されたことにあった。出荷しても儲けも出ない状況で、これじゃいかんなと経営を見直したところ、顧客と離れすぎたと思い至った。
「改めて振り返ると、大量生産、大量流通、大量消費の波に飲み込まれ、誰のための、何のための農業かわからなくなっていたと気づきました。自分たちで作ったものを、誰が食べているかもわからないような状況じゃ、ダメだな。もう1回、お客さんの近くに行って、自分たちの農業を見てもらい、買ってもらおうと考えました」
そこで地域の生産者に呼びかけ、昔ながらの朝市のような「顔の見える販売」を目指して生まれたのが直売所「ねぎっこ村」だ。2000年のことだ。
当初は道の駅の計画を立てたが、100人くらい生産者が集まらないとボリューム感がなく経営は難しいことがわかった。そもそも億単位での資金が必要で、そんなお金はどこにもない。何度も話し合い、それぞれ1人10万円くらいなら資金を出せそうということになり、10人で100万円を用意し、200万円を借り、土地を借りて300万でビニールハウスを建て、まさに手作りの直売所を作った。そこにはネギ、チンゲンサイ、ダイコン、コマツナといった地元産の野菜のほかに、農家の主婦の惣菜なども並んだ。2006年には大塚が代表となって(有)ねぎっこ村として法人化し、2008年には新店舗を建設した。毎月、収穫体験などのイベントを行なっており、子どもたちの食育の場としても人気となっている。

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